形式を重んじる人
形式を重んじる人はいたるところに存在する。形式を重んじると言えばつい生真面目で冗談が通じない印象を与えるが、形式を重んじることと、生真面目かどうかはまったく関係がない。
お盆に実家に帰ったときのことだ。まだ私は大学生だった。その頃、実家は店をやっていて、店内には喫茶スペースがあった。店に入ると、ポロシャツを着た血色のよいおじいさんがひとりカウンターに座って母や祖母と話していた。私に気づくと、
「こんにちは、いつもお世話になってます」
と言った。私は可笑しいと思った。まず話し方がすごくゆっくりだ。もちろん、ゆっくり喋っているのが変だというのではない。何か確かめながらの話し方が妙な感じがしたのだ。それに、言った後になぜかニコニコしている。
そこへ祖母がコーヒーをトレイに載せて運んできた。
「おばあちゃん、美味しいコーヒー、ありがとう」
やはり何か変だと思った。まだ飲んでないじゃないか。それに、話しながら何かを数えているような気がしたのだ。すると突然母が口を開いた。
「こちらのお客さん、いつも来てくれはるねんけど、面白いのよ。話すときは、全部5・7・5で喋らはるねん」笑いながら、何でもないことのように言い放った。
一体、それは何なのだ? 唖然としている私をよそに、私のことをあれこれ母は話しはじめた。なぜこのおじいさんに心を開いているのだ。こんなよくわからない客に私のことをぺらぺらと喋らないでほしいと願った。
よくわからない物事の前で人は警戒するものだ。それまで母や祖母に向かって5・7・5で話していたおじいさんがうんうんと頷くと、突然私の方に向いたのだ。何を言うのだろうかと身構えた。
逢える人、早い遅いで、逢えるはず
不意にうまいこと言われてしまい、どうしていいものやらあたふたしてしまったのだが、それにしても、この人はどうしてこんなことになったのだろう。俳句好きが高じてこうなったのだろうか。だとすれば、もう少し季語なんかに気を遣っていてもよさそうだ。
それに気になるのは、ひとりでいてもこうなのだろうかということだ。例えば、テレビを観ていたら昼になった。そういえば腹が減ったなと思う。するとこの人は言うのだ。
「ざるそばに、かき揚げつけて食べようか」
支度をするのも本人だ。湯を沸かしてそばを茹でる。めんつゆは冷蔵庫にある。
「かき揚げはスーパー特売お買い得」
そばだからあっという間に食べ終えてしまう。手を合わせる。そしてやはり言うのだ。
「食べ終えて、ごちそうさまと言う私」
そんなことを言いながら、流しへと食器を運ぶのだろうか。一人暮らしながら、なにか楽しそうである。
しばしば世の形式を重んじる人が形式を重んじるばかりに周りに迷惑を掛け、敬遠されがちであるという事実を思えば、こうやって5・7・5で喋る人は、喋り方が変なことを除けば、ささやかな楽しみを大切にする害のない人だろう。なぜそうするのかはわからないが、あのおじいさんは5・7・5の形式を守ること自身が目的であり、それを通じて何かを成し遂げようなどとはしていないのだ。
コーヒーを飲み干し、いくつか5・7・5で会話を楽しむと、おじいさんは立ち上がった。
「おばあちゃん 私そろそろ 帰ります」
形式を重んじる人は厳格である。帰り際にも5・7・5で挨拶することを忘れない。会計をして帰っていくおじいさんはとてもとても満足げなのだ。