可笑しなことの見つけ方

日常で見つけた可笑しなことを書いていきます。毎週木曜日20時ごろ更新予定です。

思い込み

 1ヶ月ほど前に学芸大学駅の近くに引っ越しをした。増えたのは本くらいのものだろうと思っていたのだが、私の予想に反して、荷造りをしてみれば、この大きな本棚も買った、液晶テレビも買ったと思い当たり、改めてものが増えていることを実感させられた。私はたいしてモノを持っていないはずだ、というのはただの思い込みだったのである。
 引っ越し業者が到着してみると搬出はあっという間だ。ほとんど夜通し掛かって、本を詰め込んだ、私にはなんとか持ち上げられるくらいの段ボールを三つくらい積み重ねて軽々と運び出していく。作業員のボスが若手に、これの次はあれと指示を出しながら、私に尋ねた。
「ご勉強のご本ですか?」
 私は咄嗟に
「まあ、趣味の本がほとんどですよ」
というような受け答えをしながら、何かがかみ合っていないような気がしていた。「ご勉強」とはいったい何のことなのか。
 搬出が終わると急いで新居に向かい、今度は搬入を見守ることになる。次々と荷物が置かれていき、これまではまったく自分の部屋という実感が湧かなかった部屋が、本棚や机、カーペットが置かれてみると、たちまち自分の部屋だという感じがしてくる。そんなことをぼんやり考えながら、家具の位置などを指示していると、若い作業員の1人が私にこう言ったのだ。

「これは、このあたりでいいかな?」
 いくらフランクだとは言え、「いいかな?」というのはどうも変だ。彼が礼儀を知らないというのではない。なにか思い違いをしているのではないかということだ。
「昨日、会社から運搬先の住所を渡されて、いろいろ想像してたんですよ。建物に学芸大って書いてあるんで」
 作業が終わり支払いをしながら、業者のボスが雑談っぽく話したそれでようやく謎が解けた。彼らは私のことを大学院生か、それに類するものと考えているようなのである。しかし、考えてみてほしい。大学人の住む建物にわざわざ大学名が冠せられているものだろうか。そういう考えは早計というものだし、だったらもし私が祐天寺に引っ越そうものなら、寺の僧侶かなにかだということになってしまうではないか。そこでその思い込みを訂正すべく言った。ただ、直接言ったりするのではなく、それとはなしに「私は大学とは関係ありませんよ」ということを伝えようとしたのだ。
学芸大学駅というのがすぐ近くにあるんですよ。もう学芸大学自身は小金井市に移転して、ここには何もないんですけどね」
 彼らがその時に見せた豆鉄砲を食らったような表情が忘れられないでいる。
 10年以上も前に同じく目黒区の洗足という場所に住んでいたことがある。当時は休みの日に家に居ると決まって新聞の勧誘員が来たものだった。ガタイの大きい横柄な者も居れば、吹けば飛ぶようなひょろひょろの、しかしそれでいて断ると不吉なことが起こりそうな雰囲気を漂わせている者もいた。ある時やってきた勧誘員の思い込みがすごかった。ドアを開けるや否や、
「いやあ、東工大はいい大学ですよねー」
とこちらが何も言う前から東工大のことを持ち上げるのである。私は東工大の学生ではなかったが、面白いものだから、
「そうですね」
と答えていたのだ。すると、彼は相手の心を掴んだと思ったのか、
「本館の前の広場がいいですね」
などと次から次へと東工大のいいところを並べたてるのである。私は興味がなかったので、彼がなにを言ったのかほとんど覚えていない。覚えているのは、こちらの反応をまったく気にせず、次から次へと列挙しつづけることだった。結局、その新聞屋からは新聞を取らなかった。なぜなら、彼との間にコミュニケーションが成立しなかったからだ。思い込みというものは恐ろしいものである。私たちが自然に行えるコミュニケーションをいとも簡単に不可能にしてしまうのだ。