可笑しなことの見つけ方

日常で見つけた可笑しなことを書いていきます。毎週木曜日20時ごろ更新予定です。

恐ろしい地下鉄

 去年の夏のことだが、はじめてイタリアに旅行に出かけた。最初にローマに滞在し、その後鉄道でフィレンツェ、さらにピサへと足を伸ばした。ピサでは現地に住む友人が案内してくれたお陰でのんびりと風景や料理を愉しむことが出来たのだが、最初に入ったローマでは終始緊張の連続だった。

 というのも、ガイドブックではページを開けば「スリに気をつけましょう」とか「地下鉄は治安があまりよくない」などと書かれていたからだ。早朝の便でローマの空港に降り立ち、市内への列車に乗り込むとどこからともなく、ぺらぺらとしゃべりながら陽気な車掌が現れた。ホームアローンの泥棒よろしく、ひょっとしたら詐欺師が鉄道員の変装をしているのではないかと用心したのだった。あるいはまたホテルに荷物を預けてバチカンに向かう地下鉄に乗り込むと、プラスチックで出来た椅子に座り鞄を胸で抱えた。そして周りに立っている人たち一人一人が、すべて泥棒なのではないか、今にも私の財布を奪おうとするのではないかと思ったりもしたのだ。

 結果的にはこの旅行の間、危ない目にはまったく遭わなかった。怪しい物売りが近づいてきたりしたことはあったが、何かを取られたりはしなかったのだ。

 日本に帰国してほっと安心し、しばらく過ぎた頃だった。私は地下鉄東西線でうたた寝をしていた。はっと目を覚ました時、私は東京というのはなんと暢気に暮らせる安全な場所なのだろうと幸福感にさえ浸ったのだった。

 次の瞬間、ぱっと車両の窓に貼られていたラベルの文字が目に入った。

「座席シートに対するいたずらは犯罪です。」

 そうか、いたずらは犯罪か。いたずらくらいさせてやってもいいじゃないか。このラベルを目にした後でも、私は暢気にそう思ったのだ。イタリアのいつ何が起こるかわからない状況に比べて、なんと可愛らしいことだろうと。しかし、可愛らしいなどと思っていると、次のような文言が下に小さな字で書かれていることに気付いたのだった。

「座席シートを切ったり、ライター等で焦がす行為は器物破損罪として処罰されます。」

 私はその瞬間に震撼することになった。そんな恐ろしい危険な列車で暢気に昼寝をしながら私は乗っていたのか。何よりも恐ろしいと思ったのは、どうしてシートを切るのか、あるいはなぜ焦がすのか、わけがわからないということだ。スリが財布を取るのは、金が欲しいからだろう。そういう動機が明確なら、用心せなばならないが、それほど恐ろしいとは感じない。むしろ、なぜそんなことをするのかわからないと、不安で仕方がなくなってくる。今も私の横でシートを焦がそうとする輩が現れるのではないか。そして、ふと気付いたのだが、そもそもそれはいたずらなのか。

 「いたずら」などという可愛い言い方をしていては駄目なのではないか。「そうか、いたずらは駄目だよな」などと、それを見て、思いとどまるとは思えない。じゃあこれは何のために貼られているラベルなのか。貼った側の気持ちもまたよくわからないのだ。