可笑しなことの見つけ方

日常で見つけた可笑しなことを書いていきます。毎週木曜日20時ごろ更新予定です。

全品3割引の男

 最近密かに楽しみにしていることがある。会社帰りに電車を降りてエスカレーターを登っていくと、声が聞こえてくるのだ。

「全品3割引で〜す! 全商品30%オフになりま〜す!」

 その声はただひたすらこれをくり返している。そこは駅ナカで持ち帰りの寿司を売る店だ。歩いていくと、通路の角の店先で閉店が近づいて値引きした寿司を必死に売りさばこうとしている小柄な男が目に入る。

「全品3割引で〜す! 全商品30%オフになりま〜す!」

 ハッピ姿の彼は、ラミネート加工の「こちらのコーナー 3割引!!」と書かれた紙を左手に持ち、右へ左へ手を広げ、まるでやっこさんのようである。このくり返しが心地よい。そして、隣には神田川料理道場の神田川俊郎によく似た年配店員もおり、

「ちょっと工夫でこの安さ」

とか言えばもっと売れそうな気もするのだが、彼は力士のような少しハスキーな小声で「三割引です、三割引です」とだけくり返していた。

 通路の角のショーケースを見るとかなりの数の値引きした寿司が置かれている。こちらのコーナーとは、このコーナーのことだな、などとくだらないことを考え、銀座コージーコーナーの本店が銀座1丁目の交差点の角にあることに気付いたときの感動を思い出したりもしたのだ。そして、なにより私が気になったは、3割引と30%オフは同じなのに、どうしてわざわざ言い換えをしているのかということだ。もちろん、言っていることは正しい。今思えば、過度に反応していたのかもしれない。ただ私は引っかかった。

 毎日同じ時間にここを通るわけではなく、もっと遅くなることもある。そうすると、この状況もまた少し違ってくるのだ。声が聞こえてくる。

「全品半額で〜す! 全商品お買い得で〜す!」

 なぜだ。3割引の時には言い換えていたのに、半額になるとどうして言い換えないのだ。「半額です、50%オフです」と言わずに、「お買い得です」と言う。じゃぁなにか、3割引はお買い得じゃなかったということなのか。考えながら、通り過ぎるとノリノリで売り込んでいた男は一瞬鋭い目で私をキッと見た。

 こんなふうにして、この3割引の男の行動が気になりだした。気になりだすととにかく気になるものだが、終電近くになると、さすがに閉店しておりこの値引きのデモンストレーションは見ることは出来ない。時間さえ早ければ良いというわけでもない。いつもいるような気がしていたが、こうして気にして観察してみると店先に居ない日もあるということに気付くのだ。声が聞こえないなあと思いながらエスカレーターを登っていくと、神田川さんだけが、かすれた声で「お買い得です、お買い得です」と言っている。言っているけれど、やはり体全体を使って売る3割引の男にはかなわない。

 ある日のことだ。たまたま仕事が早く終わり駅に着くと、まだずいぶんと早かった。すると、3割引の男はまだ値引き前で、なんとも手持ち無沙汰な様子なのである。それはどうなんだろう。私は可笑しな気持ちになった。定価で寿司を売ることにこそ腐心せねばならないのではないか。定価で売っている時は手持ち無沙汰で、値引きしてから本領発揮するとは本末転倒である。

 しかし、わからなくもない。彼は値引き販売している時に、他では得ることの出来ない全能感を感じているのだ。3割引、半額の時の彼はだからこそとても楽しそうなのだ。大きな声と全身を使ってお買い得感を表現する。表現すると客が寄ってきて、次々と売れていく。彼はその時、自分の力以上の何かを背中に感じている。そうだ、それは値引きされた寿司の力だ。本来は定価で売るべきだが、この気持ちがいい値引き販売をやるには、品物が売れ残っている必要がある。矛盾を抱えているものの、やはりこの気持ちよさには代えられない。

 何日か彼の顔を見かけない日が続いた。矛盾に苦しみ、辞めてしまったのだろうかと考えたりもしたのだが、数日経つと突然また3割引の男が戻ってきた。仕事帰りホームからエスカレーターを登っていくと、いつも通りに声が聞こえてくる。

「全品3割引で〜す! 全商品30%オフになりま〜す!!」

 あの男が通る声を張り上げる。彼の隣には神田川。今日も楽しそうだな。そんなことを考えながら、私はまだここの寿司を買ったことがない。