可笑しなことの見つけ方

日常で見つけた可笑しなことを書いていきます。毎週木曜日20時ごろ更新予定です。

粗忽な車掌

 

 その日、どちらかと言えばその車掌の調子はよかった。三鷹駅で折り返す黄色いラインの入った各駅停車は吉祥寺を出て新宿方面に走り出したところだった。車掌は伸びやかな声で言い放った。

  「次は~、津田沼津田沼で~す」

 すべての乗客が一瞬耳を疑った。休みの日の昼間だったから、それほど車内は混雑しておらず、驚いた人たちの表情がよく見えた。何しろ間違えたのは千葉の津田沼である。これが荻窪とか高円寺といった間違い方ならば、まあそういううっかりもあるだろうな、人がやることだもんなと聞き流されたかもしれない。しかし津田沼となると話は別である。距離も離れているし、そもそも津田沼には行ったことのない人や、それがどこなのか知らない人もいただろう。その列車の行き先は津田沼であったが、ひょっとするとどこか誰も知らない土地に連れて行かれるのではないかと皆不安に思ったのだ。しかし、よく考えてみてほしい。言い間違えるなら、もっと違うことだって言えたはずだ。「次は」に続く言葉はなにも駅名だけではあるまい。

「次は、横山ホットブラザーズの皆さんです」

と言ったらどうか? どうかと言っても、私も困ってしまうのだが、そんなことは決して起こらないところに言い間違いの妙がある。つまり、本人の思いもしないことは言わないものだ。

 だからこそ、うっかり言ってしまっていちばん驚いたのは当の車掌本人だ。どうしてそんなことになったのか、我に返った車掌は

「失礼いたしました。次は西荻窪です」

と少し恥ずかしそうに言い直した。そこにはあの元気よく、伸びやかな声はもはやなかった。

  私は考えた。ひょっとしたらこの車掌はこの列車が今日最後の乗務で、津田沼まで行けば家に帰れることになっていたのではないか。あぁ、あと一本だ、一本終われば今日も帰れる。そんなことを考えていて、早く帰りたい、帰ってビールでも呑みたいなと思っていたのだ。そして、それが表に出てきての「次は津田沼」発言だったのだ。つい本音が出てしまった。

 確かに上の空で考えごとをしていると、知らず知らずのうちに変なことを口走ることがある。随分前のことだが、地下鉄東西線の運転手が地上に出た瞬間に突然

「あいちゃん、好きだー!」

と叫び、危険を感じた乗客が駅員に通報するという事件があった。

  それに比べれば、この車掌がうっかり津田沼と言ってしまったことなど大したことではない。ただ、私がここで不思議に思ったのは、なぜ間違えて言ったのかということではなく、どうして車掌はマイクを手にとってしまったのかということだ。最近の電車はかなりの率で自動アナウンスを搭載している。であれば、そのまま自動アナウンスに任せておけばよかったではないか。にもかかわらず、車掌はマイクをうっかり手に取ってしまったのだ。

 このうっかりの正体は本心だ。本心は彼に忍び寄った。口だけではなく、全身に襲いかかり、それが彼にマイクを手に取らせ、早く津田沼に帰りたいと表明させたのだ。本心とはなんと怖ろしいものだろう。

 普段はこの本心を押し殺して、私たちは仕事をしている。ところが、ふとした拍子に本心にすり替わってしまう。それは私たちが常に注意しなければならない事柄の一つである。 

 ただ、話は根っからのうっかりものの車掌である。本心もやはりうっかりだ。本心は全身を掌握しているつもりだったが、耳だけは覚めていた。そして、自分の発した言葉を聞いて可笑しなことに気づき、驚いたのである。

 車掌は冷静になろうとした。アナウンスを自動に切り替え、そして思った。

「駅名を言い間違えたのは確かに俺だが、それを聴いてた俺はいったい誰だろう?」