可笑しなことの見つけ方

日常で見つけた可笑しなことを書いていきます。毎週木曜日20時ごろ更新予定です。

ちゃんと謝る

「もっとちゃんと謝ってほしかったです」

テーブルの向かい側で立ち上がった女性がそう言った時、私はドキッとして思わず本から顔を上げてしまったのだった。しかし、それは私に向けられた言葉ではなかった。すでにコートを着た彼女は真剣な眼差しで隣に座っている男を見つめると、それ以上は何も言わずに去っていったのだった。
 テーブルにノートPCを広げたままの隣の男の顔は半ばにやけたままで硬直していた。次の展開を待ちながら、冷や汗をかいている。いったい、ふたりに何があったのだろうか。話し方からも、また後を追おうともせず、携帯を取り出して連絡を取るでもない、かといってため息をつくわけでもない様子から、ふたりが恋仲というわけではないに違いない。が、ではまったくの赤の他人だったのだろうかというと、そこは判断しかねるのだった
「もっとちゃんと謝ってほしかった」というからには、男も少なからず謝ったのに違いなく、また男も
「ここはひとつ、いい加減に謝っておくか!」
などとはふつう考えないはずで、そうすると男は男なりに謝ったのに、彼女にはその謝り方が誠実さに欠けると写ったのだろう。いったい、どんな謝り方をしたのか、私には気になったのだった。「さーせん」だろうか。
 世の中には不誠実な謝罪というものがある。小学校のころに林という同級生がおり、年のわりにがたいのよかった彼は意味もなく教室じゅうを暴れ回っていた。ことの道理として、暴れれば人にぶつかる。彼はそこでいつも大声でこう言うのだった。
「スマン!」
 本人はこれで謝罪は十分と思っているのだが、まわりは不満を漏らし、ついには学級会でこの謝り方がやり玉にあがったのだった。
 だからどうしたというのか。当時、彼は学級会で何と言って謝っただろうか。
「ちゃんと謝ってほしかった」
という女性のひと言が、私に遠い昔の暴れん坊の林を思い出させたのだ。それほどまでに、この女性のことばが気になったのは、まるで私がそう言われたような不安を換気したからである。私はわりと人から叱られる。そしてそのことにひとつひとつちゃんと謝っただろうかと考えるのだった。意外なほどに、タイミングを逃してしまうと、もはや謝ることは叶わずに、ただ悶々とすることになる。
 だから、どうしたというのか。いや、この話にはオチらしきオチなどなく、知恵もない。そのことについて、申し訳ありませんと、ただ深々と謝るよりほかないのである。