可笑しなことの見つけ方

日常で見つけた可笑しなことを書いていきます。毎週木曜日20時ごろ更新予定です。

ゼミで読んだ本の著者がノーベル経済学賞を取った

 今年のノーベル経済学賞をジャン・ティロールが受賞したと聞いて驚いた。というのも、私がまだ経済学部生だったころ、ゼミで読んでいたのが、彼の著書『The Theory of Industrial Organization』だったからだ。私の所属していたゼミではティロールと、もう一冊クレプスのミクロ経済学の教科書を読んでいた。そして、いま考えればとんでもないことだが、私たちは1年間をかけて、ティロルの11章を読んだのだった。先生は1年に1章ずつゼミで読みつづけ、ちょうど読み初めから10年が経とうとしていた。11章はページ数にすれば10ページか20ページくらいだっただろう。しかも、1年かけてほとんど休みなく読みつづけたにも関わらず、11章が読み終わらなかったのである。

 とは言え、私たちはサボっていたわけではない。むしろかなり真剣に読みつづけていたのだった。真剣に読めば読むほど、前に進まなくなる。というのも、膨大な量の先行研究のモデルや現象についてティロールが言葉とグラフを使って説明するのを、ゼミでは数学的に定式化し、証明をしていくからだった。時によっては、その文章からは読み取れない仮定が必要になった。ある時など、3時間のゼミを終えて、テキストで2行くらいしか進んでいないことに気づいた。クレプスのテキストがきちんと定式化された定理を証明するのに比べて、ティロールは、定義や定理を自分たちで模索しながら進めていかなくてはならなかった。そして、私ははじめのころこれが苦手だった。
 先生の言によれば、ゼミの発表は「毎回その場でランダムにあてます」とのことだったが、名前を書いたカードを繰る先生はどうみてもカードの名前を凝視していた。そして、何度聞いても
「ランダムです」
と言うその先生は、私がわりと得意だったクレプスの方には2年を通じて一度も当ててはくれなかったのである。
 一方で、苦手なティロールの方の発表はよく当たった。当たった次の回は「確率的には」当たらないだろうと気を抜いていると、意外に当たって困った。それから、なんだかよくわからないのだが、ゼミで缶コーヒーを飲んでいると、とにかく当たった。これを逆手に取って、今日はよく準備したから当ててほしいなと思ってゼミがはじまるや否や、缶を勢いよく開けたら、やはり当たった。「ランダム」をコントロールするうまい法則を見つけたと心で喜んでいたら、2年目からはゼミがドリンク禁止になった。
 そのようにして私は鍛えられていったのだった。そしてまた、尋常ならざる極めて遅遅とした速度で文献を読む技を今思えばあのとき体得したのだった。
 いまの私はと言えば、夏からガルシア=マルケスの『百年の孤独』を極めてゆっくりと脱線しながら読みすすめている。スピードと言えばふつうは「速い」ことがよしとされるのだが、私があのゼミから学んだとすれば、それは「速さ」ではなく「遅さ」である。遅くなくては見落としてしまうことが確かにあるのだ。私はそう教えられたのだった。みんながみんな一冊の本をゆっくりと読むわけにはいかない。私は『百年の孤独』を代わりに読んでいるのである。

 

ぜひこちらもご一読ください。

 『百年の孤独』を代わりに読む

https://note.mu/tomodaton/m/m796729426a3b