可笑しなことの見つけ方

日常で見つけた可笑しなことを書いていきます。毎週木曜日20時ごろ更新予定です。

届かない声

売店へ行くためだったか、それとも食事のためか、日中に職場で屋外を歩いていた。数日前から建物の前では建物と通りを覆う高い屋根の洗浄作業が行われていた。ここに来た時から、この建物を覆う高いアーチ状の天井のメンテナンスはどのようにやるのだろうかと不思議に思っていた。ある日、建物の前にクレーン車が停まっていた。周囲に安全のためのテープが張られ、車両から天井ぎりぎりまでクレーンを延ばし、高いアーチ状の屋根に向かって高圧の水を噴射し洗浄していたのだった。

彼らは地道に水を噴射して洗浄していった。気の遠くなるような作業を眺めながら、私がその脇を通り過ぎようとした時、突然クレーン車から警報音のようなものが鳴り始めた。そして、警報音につづけてクレーン車のスピーカーからは何やらアナウンスが流れはじめたのだ。私はいったい何が起こっているのだろうかと身構えた。もちろん、その理由を考えたところで、あくまで想像の域を脱しない。何しろここはマレーシアで、警報のアナウンスはマレー語で行われるはずだからだ。それに、猛烈なエンジン音と高圧の水を噴射する音で、何を言っているかまったく聞き取れない。一方、作業員の男たちは黙々と働き、そして交代要員なのか、幾人かの作業員たちはヘルメットを被ってその辺で並んで腰掛けていた。彼らは作業を見上げながら、仲間で楽しそうに話しているのである。その時だった。

「います。」

確かに私の耳にはそのように聴こえたのだった。しかし、こんなところで日本語が聴こえるはずがないと私は考え直した。轟音の中のことだ。それは空耳に違いない。それになにが居るというのか。私はもう一度必死に耳を澄ませた。ちょうど水の噴射が一瞬止んだ。そして、警報音がはっきりと聞き取れた。

「限界を超えています。」

やはり日本語だった。よく見てみると、クレーン車には「MITSUBISHI FUSO」の文字があった。このクレーン車も日本から輸入したものなのかもしれない。そして、私はその場に立ち止まり、建物を覆うアーチに向かってクレーンを延ばし、天井の苔を除去している作業を見上げた。限界を超えているのだ。クレーンを延ばし過ぎているのか、それとも仰角が大きすぎるのか、いずれにしても限界を超えているのだ。ところが、結局作業員たちは何かをするわけでもなく、ただ再び水の噴射が始めたのだった。そこでさらに、エンジン音と水を噴射する音に紛れて、かろうじて聞き取れたのは、

「してください。」

という言葉だった。それは何かを指示しているはずであるのだが、私にはそれが何であるのか聴き取れない。何かをしなければならないのだ。そして、その指示の意味をきちんと理解できるのはその場では私だけだったに違いない。ところが、それが何を指示していたのかは私には聞き取れなかったのである。私が用を済ませて、戻って来た時もまだ警報音が鳴り響いていた。

「限界を超えています。*****してください。」

音声は何かしらを作業員に向かって指示していたが、彼らは熱心に水を噴射し、またあるものは傍で腰を下ろして笑いながら会話に興じているのだった。

お寿司が含まれている

クアラルンプール国際空港の出入国審査官はパスポートに記された私の名前を読み上げ、顔をじっと見た。そして、何かを思い出したように、
「From JAPAN? 寿司はやっぱりよく食べるのか?」
と言った。私は突然の質問に驚きながら、「時々ね」と返した。それから何ごともなかったように私はパスポートを受け取ると、ゲートへと急いだ。

日本食といえば寿司、マレーシアでもやはり寿司が人気だ。マレーシア風の寿司だ。確かに寿司チェーンは地元の人たちでかなり混み合っている。だから、マレーシアに来た当初、日本人だと気付くと、挨拶もそこそこに彼らが寿司の話をすることにそれほど違和感を覚えることはなかったのだった。ところが、どうも日本人の全員がこのように寿司の話を現地の人からされているわけではないようだった。いったいなぜ私だけが寿司の話を投げかけられるのか。

ある日、同じラボで働いているインドネシア人と話していた時のことだ。
「あなたの名前は、寿司に似てるね」
と雑談の折、彼が言ったのだった。私の名前は「Atsushi」である。そんなことをこれまで言われたことは一度もなかったが、言われてみると確かに名前の中に「Sushi」が含まれていたのだった。

それ以来、私は私の名前が呼ばれる度に、気を付けて観察していた。多くの人が私の名前を発音しにくそうにしており、「Atsu」「Sushi」というふうに二つの単語を組み合わせるように発音していることがわかった。大学の先生は私の名前を呼ぶ時に、名前を思い出そうとし、そして小さく一度「Sushi」と言ってから、「Atsushi!」と言っていることに気づいた。

先日、スタバでコーヒーを注文しようとしたところ、おとなしそうなマレー系の新人の男性店員さんが、カップに書くために私の名前を尋ねてきた。もっと簡単に縮めた名前を言えばよかったのかもしれないが、そのまま「Atsushi」と言った。彼はどういうスペルなのかわからなかった様子で困っていると、横で指導していたベテランの女性店員さんが
「”A” “T”、それから”Sushi”って書けばいいのよ!」
と言った。そうか、彼らには私の名前の中にはっきりとお寿司が見えているのだと気付かされたのだった。

タクシーのサービス

地元の駅から乗るタクシーは、お世辞にも柄がいいとは言えない。ところが、ある夜出張の帰りに乗ったインド系の運転手はとても丁寧だった。それに車も新しい。こちらでは車体がボコボコで、シートベルトは壊れており、土砂降りになれば雨漏りのするような車が平均的だ。これは期待が持てる。そう考えていると、ハンドルを握る手を離した運転手が、ダッシュボードの上におかれていた芳香剤を手にとったのである。とっさに彼が何をしようとしているのかわからなかった。彼はその手にした芳香剤を、なぜかカーラジオの下にあいたエアコンの送風口にかざし始めたのである。送風口の前でゆらゆらと芳香剤をゆすっているとラウンドアバウトに近づいた。彼は慌ててそれをダッシュボードに置いて、ギアーを切り替える。するとまた彼は芳香剤を手に取り、送風口の前でゆらゆらとゆすりはじめるのだ。交差点や信号が多いので、じきにまた芳香剤をハンドルやギアーに持ちかえなければならなかった。

何をしているのかわからなかった私だが、タクシーの中を次第に強い香りが充満しはじめてようやく理解することになった。彼はサービスしているのだ。しかし、彼がなぜにそれほど芳香剤の香りを充満させたかったのかについては、私には未だにわからないのである。

随分と長い間、可笑しなことの見つけ方を書けずにいた。それはおそらくこちらで暮らしはじめて、見るものすべてが新鮮であり、またその中で生活していくのに必死だったためである。可笑しなことを見つけていく道は険しい。ではいったいマレーシアで私は何を書けばよいのか。真っ先に考えたのは、マレーシアはこんな国だとか、マレーシアの人々の気質はこうだというような分析したり、断定したりするのはよそうということだった。今のところ、私はまったくそういうことに興味がないのだ。むしろ、分析され、断定される前の投げ出された可笑しさについて綴っていきたい。その末にどこに辿りつくのか私にはわからない。ただ、確かに可笑しなことはこの土地にも存在するのだ。その可笑しさにおつきあいいただければ幸いである。

掛かってきた電話

代休を取って平日の午後に自宅で本を読んでいると、携帯電話が鳴り出した。クアラルンプールを表す03の市外局番だが、番号に心当たりはなかった。電話に出てみると、相手の女性は何かしら名乗った後、
“Are you Mr. Anago?”
と言ったのだ。
「そちらは、アナゴさんですか?」
もちろん、私はアナゴさんではなかった。確かに私はアナゴが好物だが、さりとて一人の人間としてしばしばアナゴの味に舌鼓を打っているに過ぎず、「ミスター・アナゴ」の異名を手にするいわれも資格もない。つまり、間違い電話だったのである。いったい、アナゴさんなどという人がどこかに実在するものだろうか? このことをきっかけにして、かつて掛かってきた数々の間違い電話を私は思い出すことになったのだった。

学生時代だったと思うのだが、気付くと留守番電話にメッセージが入っていた。再生してみると聞き覚えのない男の声で、彼は切実に、
「ミサワさーん、ミサワさーん」
とミサワさんを呼びかけていた。三沢さんだろうか。それとも三澤さんだろうか。もちろん、私は三沢さんでも、三澤さんでもなかった。いったい三沢さんとは誰なのか。まったく心当たりはないものの、不思議なことに私には突然、この男と三沢さんの姿が頭に浮かんだのである。それは、東南アジアの工場から日本の中小企業の社長であるところの三沢さんに緊急に連絡を試みようとする一人の外国人の男の姿だった。

私にはそのような知り合いはいない。であれば、これは誰なのか。その後何度かこの男から電話が掛かってくるうちに、この「ミサワさーん」という呼び声が、まるで「シャチョーさーん」という東南アジアの人たちと重なったからかもしれないと思うようになった。いや、定かではないし、そう言ってみるとそれはまた違うような気がしてくる。

スイスからの間違い電話が掛かってきたこともある。友人がちょうど新婚旅行に行っていた時期だったので、ひょっとしたらと思い、留守電のメッセージ再生した。しばらく無言がつづいた。しかし、受話器を持つ相手がそこにいることは確かだった。私は耳を澄まして、相手が話し出すのを待った。2、3秒のことだっただろう。突然、不安げな女性の声が聴こえた。
「Hello?」
そして、メッセージはそこで終わっていた。あれはいったい誰だったのだろう。

先日、気付かぬうちに携帯電話の着信履歴が残っており、+221とあった。調べてみるとそれはセネガルの国番号だった。メッセージはなかった。誰が誰に電話をしようとしたのか、もはや私には知るすべもないのである。

アマンさんのところのビール

後輩が首都クアラルンプールから遊びに来て一緒に市内を観光して回った。5月の連休のことだ。昼間は人もまばらな通りは、屋台へとやってきた人で溢れていた。そして、私たちはビールを求めていた。いや、1日町歩きをしてはいたが、喉がカラカラに乾いていた、というわけではなかった。こちらは日本と違って日没も遅い。日が暮れる前からすでに近くの店でビールをいくらか飲んだ後、酔いを覚ましながら、もう少しツマミとビールを求めてあたりを徘徊していたのだ。

すっかり暮れた通りの電球で照らされた屋台とそこに群がる人たちの光景を見るだけで新鮮な気持ちになった。屋台の前には赤や青のプラスチックの机と椅子が並んでおり、皆頼んだものをそこで食べていた。夕方は突然の豪雨がしばしば訪れるため、彼らは軒先のテントが届くあたりの席を確保しなくてはいけないのだ。私たちは濡れないように家族で身を寄せ合って少し窮屈そうに食事をしている人たちを覗き込むが、ビールを飲んでいる人は一向に見当たらない。屋台を覗くと、そこにはHeinekenとロゴの入ったメニューボードにメニューが書き込まれていた。この店はビールを扱っているのではないか。酔いの回った私たちは期待を抱き、後輩が店員に訊いた。しかし、彼らはなぜそんなことを聞くのかといった表情で、ビールは取り扱っていないと答える。ビールのロゴがあるからといって、ビールがそこにあるとは限らないのだ。

私たちは並んだ屋台を歩き、食欲を掻き立てる香りに導かれ、ふくよかな老婆が麺を炒めている店で足を止めた。メニューボードには大きなロゴで「Tiger Beer」と書かれていた。麺を頼み、そしてビールを取り扱っているかと私たちが尋ねると、老婆は炒める手元から少し顔を上げて、
「ビール? ビールはうちはやってないんだよ」
と言ったのだった。一旦私たちは落胆したのだが、彼女は続けた。
「ビールはねえ」
彼女は視線を隣の屋台の方へと移し、
「ねぇ、アマンさん、アマンさーん、この人たち、ビールだって」
と声を上げた。私たちが隣を向くと、そこには小太りでTシャツ姿のおじさんが席に座った客にテキパキと給仕していた。私たちは突然期待に満ちあふれた。なにしろ、アマンさんの屋台はメニューボードにビールのロゴがあるだけでなく、彼自身がでかでかと「Carlsberg」とプリントされたTシャツを着ていたからだった。

アマンさんは皿を持ったまま私たちの方へとやってきた。老婆はもう一度、言った。
「このお客さんたち、ビールが欲しいんだって」
すると彼は私たちの顔を満面の笑顔で見つめて、こう言ったのだ。
「ビール?」
私たちは唾を飲み込み、頷いた。すると彼はもう一度、ニコッと笑い、
「ビールは、ないよっ」
と言い放った。彼の胸には、Carlsbergの文字が大きく輝いていた。彼は自分の屋台の中へと帰っていった。私たちは顔を見合わせて笑わずにはいられなかった。しばくして、結局私たちはビールにありついた。反対側の2、3軒くらい向こうの店がビールを置いていたのだ。

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ただのトリビアを可笑しく

  目黒駅は当然目黒区にあるということに疑いを持つ理由などない。かつて私もそれを信じきっていた。だからと言って、それが違うとわかった時に、心底驚いたという記憶もない。世の中、そんなこともあるのだろうと思っただけだった。

 目黒駅は品川区、品川駅は港区

 ただのトリビアだが、私はこのフレーズが好きなのだ。文字通り、目黒駅は品川区にある。言い換えれば、目黒区には目黒駅は存在しない。だからと言って、目黒区が目黒駅と全然違う所にあるわけではない。目黒駅の山手線の外側はすぐに目黒区である。そして、目黒と言えばさんまである。秋になると、目黒駅近くの品川区側の商店街と、目黒区側とで、いわば本物の目黒の座を争って、(名前は少し違うものの)さんま祭りが催されるのだ。脂ののったさんまが七輪の上で、ジュー。それを求めて人が行列をなす。もはやどっちが本当の目黒かなんてどうでもよくなってくる。さんまだ、さんまが必要なのだ。
 では、品川はどうなのか。品川駅は港区。そう、品川駅もまた品川区にはないのである。そして、品川と言えば品川心中だ。だとしたら、品川駅のある港区と、品川区とで競って心中をやっているか、と言えばもちろんそんなことはない。
 そして、もっと重要なことだが、私はここでトリビア、そしてトリビアにまつわるトリビアを披露したいわけではまったくないのである。

 目黒駅は品川区、品川駅は港区

 私はとにかくこのフレーズが好きなのだ。もちろん、多くの人にとってはこれはただのトリビアにすぎない。だがしかし、ただのトリビア以上の何かがその背後にあるように思われて仕方ないのだ。何を唐突にと言われそうだが、ここで井上ひさしの文章を読んでみる。

「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、
 ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、
 まじめなことをゆかいに、ゆかいなことをいっそうゆかいに」

 そしてもう一度、あれを読む。「目黒駅は品川区、品川駅は港区」そしてまた井上ひさしの文章を読む。するとどうだろうか。ただのトリビアが何か深いことを言ってるように感じられないだろうか。
 もちろん、仮にそう感じられたとして、おそらくそれは気のせいに違いない。何しろ、それは字句通りのこと以上には何も言っていないのだし、何か立派なことを言っているような気がしたとしたら、それは勘違いというものだろう。
 けれど、私がこの1年半にわたってやってきた「可笑しなことの見つけ方」とはつまるところ、こういうことだったのではないかと思い至るのである。つまり気のせいだ。トリビアが深い話に聞こえても別に意味などない。ただし、そのなんでもないところに、そのままにしていたら見逃し忘れられてしまうようなところに私は可笑しさや心地よさを感じるのだ。そこには決して誰にも奪うことのできない価値があると思うのである。この可笑しさが少しでも読者に伝わっていればいいのだが。

 4月からしばらく日本を離れることになりました。文章を書かずにはいられない性分なので、現地でも何かを書くことになると思います。また、その時まで。これまでご愛読いただきありがとうございました。感謝。

20周年を祝う

 定期的に通っている内科クリニックの混み合った待合室でソファに座っていた。ふと玄関近くに置かれた鉢植えに目が止まった。それほど大きいわけではないそれはよく見るとお祝いの鉢植えで、
「祝 クリニック開院 20周年」
と書かれていた。もちろん、クリニックにも歴史があり、それに応じて苦難があり、それを乗り越えて今ここに存在するクリニックはめでたいに違いない。一方でどこかこの鉢植えが場違いな気がしたのだった。
 その思いを強めたのが鉢植えに書かれた「スタッフ一同」の文字だった。院内にただ一つぽつんとスタッフ一同からの祝いの鉢植えが置かれる時、私はいつもの製薬業者はどうしたんだ、玄関マットを交換に来るダスキンはどうしたんだと考えた。ひょっとして、出入り業者に催促するために玄関に鉢植えを置き、20周年の節目を知らせていると言うのだろうか。そんなことをしばし考えた後で、製薬会社らの鉢植えや花が並んだのを思い浮かべ、それでもやはり場違い感はなくならないということに気づくのだった。
 どうやればクリニックにしっくりとくるお祝いの鉢植えを置くことができるだろうか。患者からの花や鉢植えが並べばいいのだろうか。そりゃそうだろう。これまで通院しお世話になった患者の私たちがお祝いの言葉や花を贈り、先生に感謝する以上のふさわしいものなどないのである。
 それ以来、なぜだかわからないのだが、それ自体が場違いであるような花の例を考えていた。それ自体は素晴らしく、感謝の気持ちにも溢れ、でもなぜか場違い感が漂ってしまうもの。しばらく考えて、ようやく私は思い当たったのだ。
「祝 市制65周年記念図書館 開館20周年」
 つい足し算や引き算をしてしまうが、どうやったところでキリの悪さが拭えない。せっかくの20周年にもかかわらず、なぜか微妙な空気が漂っているのだ。しかし、もしそんな状況に出会ったなら、私はすかさず祝いの花にメッセージを添えて贈りたいものだと思ったのだった。