可笑しなことの見つけ方

日常で見つけた可笑しなことを書いていきます。毎週木曜日20時ごろ更新予定です。

『WILLPOWER 意志力の科学』を読んで鍛える

 なにかに集中しなくちゃならないときに限って、つい思い出したことで横道にそれてしまう。そのままではまずいのではないかと常々考えていた。それで、少し前のことになるが書店でロイ・バウマイスター他の『WILL POWER 意志力の科学』(インターシフト)を見つけて、私はこれだと思ったのだった。

 筆者はこう言う。何かに集中できなかったり、我慢できなかったりするのはただの精神論の問題ではない。そこには、意志力というものが介在しているのだ。私たちは仮にそれが些細なものであっても意思決定をする時には意志力を消費している。また、意志力を消耗した状態ではちょっとした誘惑や刺激に敏感になる。そして、私たちは疲れてくるとつい甘いものを欲するが、意志力を高めたり維持したりするのに効くのは、糖分ではなくナッツなどがいい。これらの事柄をさまざまな比較実験を通じて筆者は解説していく。

 私が気になったのは第6章「意志力はこうして鍛える」である。ここは一つ鍛えてやろうという筆者の意気込みが伝わってくる。私は読み進める。「気付いたら常に背筋を伸ばすようにする」とか「毎日食べたものを記録しつづける」といった自己向上プログラムの継続が、被験者の意志力を鍛え、その他の生活にもプラスの効果を与えると言うのだ。それを読んで、私にも希望の光が見えた気がしたのだが、つづきを読んで私は茫然とすることになった。

 被験者はコンピュータスクリーン上で点滅してる4つの点を覚え、それをマウスでクリックするという作業を課されるのだが、その作業に専念はさせてもらえない。筆者はつづけてこう言う。

「さらに作業を難しくするのが、そばに置いてあるテレビから流れているエディ・マーフィーのコント番組だ」

 そこからは、「どうだエディ・マーフィーには耐えられないだろう」という自信が伝わってくる。しかし、なぜエディ・マーフィーでなくてはならなかったのだろうか。私の頭には、ビバリーヒルズコップのテーマ曲に、早口でまくしたてるエディ・マーフィーの声、さらには日曜洋画劇場で映画について熱心に語る淀川長治氏の姿まで矢継ぎ早に思い浮かんでくるのだ。たとえば、これがミスター・ビーンだったらどうだろうか。画面のあちこちから、タルタルステーキが出てくるコントが流れだしたら、私は作業そっちのけでコントを見入るに違いない。もはや作業どころではないのは明らかなのである。

 そして、この実験の結果を読んで私は震撼することになった。筆者はこう言う。自己向上プログラムに参加していなかった被験者は作業をくり返しても成績が上がらなかった一方で、プログラムに参加していた被験者は、「しだいにエディ・マーフィーのコントを無視して四角を追う作業をうまくできるようになった」というのだ。

 私は思った。エディ・マーフィーの誘惑にはむしろ屈したいではないか。あるいは、ミスター・ビーンにも、テリー・ギリアムにも、そしてザ・ドリフターズにも。なにしろ、コントの神様に屈することなく、黙々を作業をしている私は、もはや途方に暮れるほかないからである。

横書きを縦書きに

 今ではほんのわずかな枚数の年賀状を出すだけだが、かつて実家が和菓子店を営んでいたころは、年末といえば、家族そろってお客さんに向けての年賀状を大量に準備したものだった。ある日、母がびっしりと埋め尽くされた横書きの住所録を見ながら、1枚1枚ハガキに筆ペンで宛名を書いており、その向かい側では郵便番号を冊子で調べる祖母の姿があった。

 祖母の前には、まだ郵便番号を記入していないもの、すでに郵便番号を入れたもの、そして郵便番号がわからないものの三つの山が出来ていた。なぜ、わからないのだろうかと私は思ったのだった。たとえば、これが宛名に「山田薫」とあって、男女のどちらかがわからないというのなら話は別だ。あるいは「小林幸子」とあって、「さちこ」か「ゆきこ」のどちらかわからないとか、同じ住所に宛名が2人も3人もあって、夫婦か、親子か、あるいはただの他人なのかわからないというのなら、まだしも、住所と郵便番号は一対一に対応するはずで、番号がわからないような住所では、ハガキもやはり届かないのではないかと思ったのだった。そして、きっと祖母の調べ方がまずいのだろうと考えた私は、その1枚を手に取った。

    神
    奈
    川
    県
    厚
    柿
    ×
    ×
    町

 いったいこれはどこだろうか? たしかにそんな住所は存在しないのだが、少し考えて思い当たった。「神奈川県厚木市」である。そして、それは横書きした住所を縦書きにする時に、母が「厚木市」を「厚柿」と読み間違えたからだった。柿が食べたいとでも思っていたのだろうか。手書きの文字はしばしばこういうことがある。横書きを縦書きにする。そこでは厚木市が厚柿になり、旧ソ連が1日ソ連になる。そこから、年賀状シーズンに向けて何か教訓を導きだす気はさらさらないのだが、どうやってそんな文字列が生じてしまったのかを考えるのは案外愉しいものである。

秋のポルターガイスト

 20年近く前の秋の夜、私はアルバイト帰りで浜松町駅のホームに立っていた。その日は休日で、夜遅くのホームで電車を待つ人はほとんどいなかった。びゅーっと風が吹くとかなり寒い。私は早く電車が来ないだろうかと思っていたのだった。程なくして電車到着の自動アナウンスが流れた。それにつづけて駅員のアナウンスが入った。
「えー、次の山手線外回り、品川・渋谷方面ご利用のお客様、3両目を避けてご利用ください」
 咄嗟に3両目だけが極度に混雑しているのだろうかと思った。しかし、そんなことがいったいどうして起こるだろうか。一カ所が込んでいるのなら、別な車両に移るのはずである。あるいは、貸し切り電車か?とも私は考えたが、それならばもっと車両の端に設定しそうなものである。私はよくわからなかった。
 ホームへと電車が入ってくると、車両の中からホームに、ひゅー!、ひゅーっ!という口笛なのか、叫び声なのかわからない音が折り重なるように鳴り響いた。3両目の電灯は真っ暗に消えていた。私は思った。
ポルターガイストだ!」
 3両目が近づいてくると、真っ暗だった車両の中から悲鳴が鳴り響き、電灯はチカチカと点いたり、消えたりをくり返していた。
「やはり、ポルターガイストだ」
私はそう確信を深めた。しかし、もちろんそんなはずはなかった。電車が停車すると、車両の中から、鳴りものを抱えたり、変装した外国人が一斉にホームに溢れ出てきた。ホーム上は一瞬にして昼間のように人でいっぱいになり、彼らは鳴りものでどんちゃん騒ぎを繰り広げた。
 しばらくして、発車のメロディーが鳴り終わると、騒いでいた人たちはきゃーきゃー声を上げながら急いでドアに駆け込み、前の人間の背中を押して、ぎゅーぎゅーの電車の中に収まっていった。これが各駅でつづいた。
 あれはなんだったんだろうと思いつつも、途中の駅で降りた私は、翌日の新聞でトレインジャックした人たちが逮捕されたと知った。それは今思えば、ハロウィーンの夜だったのだ。

男たるものかくあるべし?

 随分と前のことだ。午後、出張に向かうために乗った中央線快速の東京行きはわりと空いていた。空席はないが、かといって大勢が立っているということもない。ぽつぽつとつり革を持ったりドアの脇に立っている人がいる程度である。その時点ではまだ私はそれから起こることに何も気づいていない。電車が途中の駅に停まると、
「ハッ、ハッ、ハッ」という快活な男の声が聴こえてきたのだった。
 読んでいた本から顔を上げると、体格の良い白髪混じりで髪をオールバックにした和服姿のおじいさんと、小柄で背の低い紫の着物を着た初老の女性が乗り込んでくるのが目に入った。まるで漫画『美味しんぼ』の海原雄山のようなこの男性が腹から出した声で言う。
「なんと、満席ですなぁ」
「仕方ないですね」とそれを受けて女性が笑顔で答える。
 すると、突然男性は言うのだった。
「青年! ちょっとそこの青年!」
 しかし、これには誰も反応しない。青年?と私は思った。ひょっとして私のことだろうか? 俯いていると、近くに座って漫画を読んでいた学生が反応した。
「そうだ、君だ! ここに女性が立っているだろう? わかるか?」と男性がその学生に顔を寄せるようにして、まくしたてた。一緒にいた女性は、
「後藤さん、いけまんせんよ。皆さん座ってらっしゃるんだから」と遮り、学生の方を向いて、
「いいんですよ。気になさらないでくださいね」と言うのだった。
 しかし男は諦めない。
「ほら、青年。わかるか? なぁ、わかるだろう。こうやって女性が、、なっ、わかるだろう?」とくり返し言い続けた。めんどくさくなって学生はすっと立ち上がると、どうぞというのでもなくドアの方へと歩いていった。
「いえ、ほんとにいいんですよ」と女性が言う。「悪いわ。もう、後藤さん、ダメですよ。こんなことなさったら」と少し叱るように男に言うが、男はそんなことは聞き入れずただ
「ハッ、ハッ、ハーッ、青年、青年! おい青年。どうもありがとうー! ありがとう!」
と言って学生に握手を求めるのだった。握手をすると、また大きな声を出して笑う。
「ハッ、ハッ、ハーッ」
 その後も、電車通学している中学生の男子たちが並んで座っているのを見つけると、
「少年、君たちも疲れているのか?」と少ししゃがんで目線を合わせて、ドアの近くに立っているサラリーマンを指差して
「あそこの疲れているサラリーマンのおじさんと代わってあげなさい」などと言うのだ。しかも、サラリーマンには怪訝な顔をされて断られてしまうのだ。すると今度は近くにいた若い女性に代わらせようとする。
 私は本を読みながら、遠目で観察をつづけた。この老人がすごいのは、結構な年齢であるにもかかわらず、決して本人は座ろうとしないことである。男たるものこうでなければいけないのかもしれない。
 吉祥寺だったか、荻窪だったかでふたりの老人は唐突に降りていった。降り際に、席を譲ってくれた中学生たちに、
「少年! どうもありがとうー!」と手を挙げ、「ハッ、ハッ、ハーッ」と笑いながら降りていったのだった。そして、なぜか彼が去った後の電車の中はふんわりと温かい空気に包まれ、知らぬものもみな顔を見合わせたのだった。

ゼミで読んだ本の著者がノーベル経済学賞を取った

 今年のノーベル経済学賞をジャン・ティロールが受賞したと聞いて驚いた。というのも、私がまだ経済学部生だったころ、ゼミで読んでいたのが、彼の著書『The Theory of Industrial Organization』だったからだ。私の所属していたゼミではティロールと、もう一冊クレプスのミクロ経済学の教科書を読んでいた。そして、いま考えればとんでもないことだが、私たちは1年間をかけて、ティロルの11章を読んだのだった。先生は1年に1章ずつゼミで読みつづけ、ちょうど読み初めから10年が経とうとしていた。11章はページ数にすれば10ページか20ページくらいだっただろう。しかも、1年かけてほとんど休みなく読みつづけたにも関わらず、11章が読み終わらなかったのである。

 とは言え、私たちはサボっていたわけではない。むしろかなり真剣に読みつづけていたのだった。真剣に読めば読むほど、前に進まなくなる。というのも、膨大な量の先行研究のモデルや現象についてティロールが言葉とグラフを使って説明するのを、ゼミでは数学的に定式化し、証明をしていくからだった。時によっては、その文章からは読み取れない仮定が必要になった。ある時など、3時間のゼミを終えて、テキストで2行くらいしか進んでいないことに気づいた。クレプスのテキストがきちんと定式化された定理を証明するのに比べて、ティロールは、定義や定理を自分たちで模索しながら進めていかなくてはならなかった。そして、私ははじめのころこれが苦手だった。
 先生の言によれば、ゼミの発表は「毎回その場でランダムにあてます」とのことだったが、名前を書いたカードを繰る先生はどうみてもカードの名前を凝視していた。そして、何度聞いても
「ランダムです」
と言うその先生は、私がわりと得意だったクレプスの方には2年を通じて一度も当ててはくれなかったのである。
 一方で、苦手なティロールの方の発表はよく当たった。当たった次の回は「確率的には」当たらないだろうと気を抜いていると、意外に当たって困った。それから、なんだかよくわからないのだが、ゼミで缶コーヒーを飲んでいると、とにかく当たった。これを逆手に取って、今日はよく準備したから当ててほしいなと思ってゼミがはじまるや否や、缶を勢いよく開けたら、やはり当たった。「ランダム」をコントロールするうまい法則を見つけたと心で喜んでいたら、2年目からはゼミがドリンク禁止になった。
 そのようにして私は鍛えられていったのだった。そしてまた、尋常ならざる極めて遅遅とした速度で文献を読む技を今思えばあのとき体得したのだった。
 いまの私はと言えば、夏からガルシア=マルケスの『百年の孤独』を極めてゆっくりと脱線しながら読みすすめている。スピードと言えばふつうは「速い」ことがよしとされるのだが、私があのゼミから学んだとすれば、それは「速さ」ではなく「遅さ」である。遅くなくては見落としてしまうことが確かにあるのだ。私はそう教えられたのだった。みんながみんな一冊の本をゆっくりと読むわけにはいかない。私は『百年の孤独』を代わりに読んでいるのである。

 

ぜひこちらもご一読ください。

 『百年の孤独』を代わりに読む

https://note.mu/tomodaton/m/m796729426a3b

 

 

車内での通話はご遠慮ください

 昼下がりに電車に乗ったら、隣に座っていた若い営業職らしき女性がタブレットを触りながら、携帯電話で話しつづけていた。

「はい、月々割は。。事務手数料は結構ですが、月々割はなんとも」
「ええ、はいっ、いえ、月々割は」
「ちょっと調べてから折り返してもよろしい、、えぇ月々割は…」
連呼される「月々割」に苦笑していて、ふっと遠い昔、友人のヤマムラから聞いた話を思いだしたのだった。
「携帯電話の車内での通話はご遠慮ください」
 そんなアナウンスが始まったばかりのころの話だ。ヤマムラは仕事帰りの電車に揺られていた。そして、しばしば開くデッキへのドアの向こうからはカップルの口論する声が聴こえていたのだ。やがて、それはエスカレートしていった。
「なんや、お前。ふざけやがってぇ」と男が叫んだかと思うと、女をなぐった。
「やめて、やめて」と女が悲鳴を上げた。
 しばらく静かになったかと思うと、また口論し、そして男は手を上げた。
 誰かが呼びにいったのだろう。しばらくすると車掌がやってきて、二人の間に入った。しかし、男は手を止めないのである。
「俺らのことに入ってくんな。お前、関係ないやんけ」
 そこへスーツ姿の中年の男が現れ、こう言ったのだ。
「止めなさい」
 その落ち着きぶりに一瞬まわりは静かになった。ヤマムラも座っていた席から身を乗り出してデッキの方を覗いていた。いったいこの男は誰なのだ。
「お前、誰やねん。関係ないやんけ」
 男はこの中年の男にもからみ、そして彼女の頬を打ちつづけた。すると、突然スーツ姿の男は言ったのだ。
「止めなさい。止めなさいと言ってるじゃないか。私は検事だ。緊急逮捕する」
 そう言うと彼はポケットから手錠を出し、男にかけた。
 ヤマムラは思った。「手錠? 逮捕?」
 それでも男は叫びつづけた。彼女は「やめてよー」と言うが、手が塞がった男は今度は脚で女を蹴り、そして検事に吠えた。
「お前、誰やねん。はずせや。警察ちゃうやんけぇー」
 たしかに警察じゃないのにどうして逮捕できるんだろう。そうヤマムラも考えていると、
緊急逮捕は出来るんだ」と検事が言った。
「なんでやねん、放せやぁ、お前、警察ちゃうやんけぇ」と男は納得せずくり返し叫んだ。
 検事が片手で男を押さえながら、携帯を取り出し、
「私はXXです。車内で緊急逮捕しましたので、引き渡しをお願いします」と電話で話しているときに、事件は起こった。男は突然こう言ったのである。
「「車内での通話はご遠慮ください」とちゃうんかー!」
 ヤマムラは驚いた。そして少し笑った。なにしろ、この期に及んでも、男がちゃんと車内アナウンスの口調を真似て、フレーズを丁寧に言ったからだ。
 検事は言った。「緊急の場合はいいんだ。ねぇ車掌さん?」
 車掌は言った。「はい。緊急の場合は結構です」
 男は言った。「なんでやん!」
 そして電車は途中駅に緊急停車した。ドアが開くとそこにはすでに警官が待っていた。男は逮捕されることを自覚すると、観念して大人しくなり、彼女に向かって
「順子〜」
と泣き崩れた。彼女もまさか彼氏が逮捕されるとは思ってはおらず、事態の深刻さに茫然とし、男を見つめていた。
 この事件のカップルは、もちろんすごい。しかし、考えてみてほしい。誰がいちばん可笑しいのか。検事だろうか、車掌だろうか。いや、事件の一部始終を身を乗り出して目撃していた私の友人・ヤマムラが何よりも可笑しいのである。

予兆を見逃さない

 それはコーヒーショップでコーヒーを飲んでいた時だった。私の隣の席に、杖をついた八十代くらいの細身の男性と、付き添いの女性がやってきた。そして、男性を席に座らせると、彼女はコーヒーを買いに行き、そして席へと戻ってきたのだった。

「私はコーヒー、先生はアメリカンですよ」
 彼女がその男性に説明していると、後ろから店員がやってきてこう言ったのだ。
「恐れ入りますが、ミルクとレモンを間違えておりましたので、お取り替えいたします」
 それだけなら、なんのことはないただの間違いだ。しかし、私はうっかり見てしまったのだ。コーヒーカップのソーサーの上には黄色いレモンのポーションが6つか7つも載せられているのを。私は思った。これはこれからなにか可笑しなことが起こるに違いない。可笑しなことが起こるときには、必ず予兆があるものだ。そしてそれらは普段なら見逃してしまうような細部に宿るのである。私はそれを決して見逃さない。
 コーヒーを飲みながら、彼女は男性に明日のスケジュールについて確認をしようとしていた。先生はぼんやりしていた。
「明日は先生、あのこないだ行ったタンメンの店に顔を出しましょうか」
「ふぅ。そーねー」
 何やら噛み合ない会話がつづいた後で、彼女はまわりを見回し突然こう言ったのだ。
「先生、ここはみんな勉強してますねぇ。私たちもそろそろ勉強を始めましょうか?」
 勉強?と私は思った。いよいよ可笑しなことがはじまりそうな予感がしてきたのだった。彼女は鞄から紙とペンを取り出すと、すでに書いてあったものを読み上げはじめたのだ。
「山田食品は、次男光司に譲ることとする。これでいいですか?」
 まさか遺言状の読み合わせがはじまるとは予想だにしなかった。私は突然始まった遺言状案の朗読に茫然とするしかなかった。いったいどうしてコーヒーショップで遺言状を書くことになったのか、私にはわからない。そして先生もまた、あまり乗り気ではないのだった。
「ふぅ、そうねぇ、うん」とはっきりしない返事をするだけなのである。しかし、曖昧な返事をしている先生とは対照的に、彼女はさっさと遺言状を完成させたいたいのだろう。前進すべく即断を求めていくのだ。矢継ぎ早に彼女は言った。
「山田食品は、次男光司に譲ります、の方がいいですか?」
「そうねぇ」
「次男光司に譲る、にしましょうか? こっちの方がシンプルいいですわね」
 しかし、彼女もまた、文体の選択という沼に脚をすくわれ、前進を阻まれているのだった。