可笑しなことの見つけ方

日常で見つけた可笑しなことを書いていきます。毎週木曜日20時ごろ更新予定です。

カレーハウスという砦にて

「ここは俺に任せて先に行け!」と彼は早口で言い放ち、キリッと表情をキメた。彼の前にはカレーの皿があり、言われた隣の男の前には大盛りのカレーの皿があった。ここは渋谷、カレーハウス・チリチリのカウンターだった。

彼らは一体誰なのだろうか。平日の昼過ぎ、小雨が降る渋谷のカレー店の前で私の後ろに「なんかだるいっすねぇ」とボヤキながら、並んでいたはずの彼らは、想像では渋谷のIT系の会社のエンジニアだろうか。ラフな格好でコーディングしていた彼らは、
「そろそろ昼行きますか。今日はチリチリにしますかね」
などと話しながら、社内の空気を少しまとい、下界に降りてきたというところなのだ。

彼らはカレーを頼み、社内事情をしゃべっていた。そこへ早速カレーが運ばれてくる。
「大盛りっすか。大丈夫っすか?」
そう言っていた彼らの前にカレーが置かれ、予想以上のボリュームに、彼はまず最初、
「食べきれなかったら、俺が全然食うから、置いていっていいっすよ」
と言った。もう一人が「腹減ってるから食えます」と返した。話はそれで終わったかに見えた。ところが、突然声色を変え、逞しい様子で彼が言い放ったのだ。
「ここは俺に任せて先に行け!」

敵が現れて、倒さざるを得ない状況を現実に彼は重ねている。現実とフィクションとを明確に区別するなら、彼は、何か敵を前にした男たちを演じているのだと言うべきかもしれない。ただ、私にはそれが現実をしっかりと侵食し、それによって現実の現実らしい部分だけでは達成できない対話を成立させているのだ。ただ演じているだけではない。

この瞬間彼の目には何が写っているのか、これを聞いた相手にはこの場所がどう変化して見えたか、私は気になって仕方がない。彼の言葉で目の前のカレーは倒すべき敵に姿を変え、カレーハウス・チリチリは、砦と化した。そして、この言葉は私にいまこの文章を書かせている。砦の前が仮にフィクションだとして、ではそれを書いてしまった私はフィクションだろうか。現実とフィクションを明確に峻別することは、意味がない。フィクションが現実を一時的に侵食し、呑み込んでしまうことも、また現実に織り込み済みである。そのような世界をうまく生きて行く方法はあるだろうか。