ただのトリビアを可笑しく
目黒駅は当然目黒区にあるということに疑いを持つ理由などない。かつて私もそれを信じきっていた。だからと言って、それが違うとわかった時に、心底驚いたという記憶もない。世の中、そんなこともあるのだろうと思っただけだった。
目黒駅は品川区、品川駅は港区
ただのトリビアだが、私はこのフレーズが好きなのだ。文字通り、目黒駅は品川区にある。言い換えれば、目黒区には目黒駅は存在しない。だからと言って、目黒区が目黒駅と全然違う所にあるわけではない。目黒駅の山手線の外側はすぐに目黒区である。そして、目黒と言えばさんまである。秋になると、目黒駅近くの品川区側の商店街と、目黒区側とで、いわば本物の目黒の座を争って、(名前は少し違うものの)さんま祭りが催されるのだ。脂ののったさんまが七輪の上で、ジュー。それを求めて人が行列をなす。もはやどっちが本当の目黒かなんてどうでもよくなってくる。さんまだ、さんまが必要なのだ。
では、品川はどうなのか。品川駅は港区。そう、品川駅もまた品川区にはないのである。そして、品川と言えば品川心中だ。だとしたら、品川駅のある港区と、品川区とで競って心中をやっているか、と言えばもちろんそんなことはない。
そして、もっと重要なことだが、私はここでトリビア、そしてトリビアにまつわるトリビアを披露したいわけではまったくないのである。
目黒駅は品川区、品川駅は港区
私はとにかくこのフレーズが好きなのだ。もちろん、多くの人にとってはこれはただのトリビアにすぎない。だがしかし、ただのトリビア以上の何かがその背後にあるように思われて仕方ないのだ。何を唐突にと言われそうだが、ここで井上ひさしの文章を読んでみる。
「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、
ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、
まじめなことをゆかいに、ゆかいなことをいっそうゆかいに」
そしてもう一度、あれを読む。「目黒駅は品川区、品川駅は港区」そしてまた井上ひさしの文章を読む。するとどうだろうか。ただのトリビアが何か深いことを言ってるように感じられないだろうか。
もちろん、仮にそう感じられたとして、おそらくそれは気のせいに違いない。何しろ、それは字句通りのこと以上には何も言っていないのだし、何か立派なことを言っているような気がしたとしたら、それは勘違いというものだろう。
けれど、私がこの1年半にわたってやってきた「可笑しなことの見つけ方」とはつまるところ、こういうことだったのではないかと思い至るのである。つまり気のせいだ。トリビアが深い話に聞こえても別に意味などない。ただし、そのなんでもないところに、そのままにしていたら見逃し忘れられてしまうようなところに私は可笑しさや心地よさを感じるのだ。そこには決して誰にも奪うことのできない価値があると思うのである。この可笑しさが少しでも読者に伝わっていればいいのだが。
4月からしばらく日本を離れることになりました。文章を書かずにはいられない性分なので、現地でも何かを書くことになると思います。また、その時まで。これまでご愛読いただきありがとうございました。感謝。