可笑しなことの見つけ方

日常で見つけた可笑しなことを書いていきます。毎週木曜日20時ごろ更新予定です。

1年間つづける

 ちょうど「可笑しなことの見つけ方」をはじめてから1年になる。第1回が2013年の9月30日、その時にはまだタイトルに(仮)がついていた。第2回が10月9日の木曜日。その日からは毎週木曜の夜に更新するようになった。はじめた時には2、3回分しかネタはなく、なんとか1ダースくらい書ければいいかなという気持ちではじめたのだった。ところが気づけば、結局正月もお盆も休むことなく、今回でかれこれ五十数回目になる。

 サボリ癖のある私がどうして1年間もこんなことをつづけられているのか。それはやはり可笑しなことを見つけ、そしてその可笑しさを文章にまとめ、誰かに伝えることが、愉しいからだ。そして、何よりもこの『可笑しなことの見つけ方』を読んでいてくれるひとがいるということがいちばんの支えになっている。メッセージや、会った時に「あれがおもしろかった」などと言ってもらえると、書いたものとしては存外のよろこびなのだ。また、アクセス数を見ると、毎週それなりの人数の方が読んでくださっているらしい。ひょっとしたら顔も知らぬ人が読んで、画面の向こう側で笑っているのかもしれない。そんな姿を想像しながら、また一つ可笑しな話を書かなくてはなといつも背筋をただしているところだ。本当に嬉しい。どうもありがとうございます。

可笑しなことへの感度が確実にこの1年間で上がった、ような気がする。可笑しなことが起きる場所には、なにかその予兆があるのだ。とはいえ、時によっては、なかなか書く話題が見当たらず、今週こそは書けないのではないかと焦ることもしばしばである。そして、どうしようと思いながら、寝転がったり、食事をしたりする。そのうち、パソコンに向かい、ほんんお些細なことを書きはじめると、それをきっかけにしていくつものことが頭に浮かぶ。そして、考えを巡らせるうちに、なにか可笑しな文章がひとつ出来上がるのだ。そうだ。それこそ私がやりたかったことなのだと私は思う。一見些細で見過ごしてしまう日常のなかに、可笑しさを見出したいのだった。毎度そんなことを思いながら、文章をしたためる。私は文章を完成させる前に、一度は打ち出して朗読するようにしているのだが、この出来たてのエッセーが(私にとっては)実におもしろい。しばしば、自分で声に出して笑い、おもしろいなあと思ったりもする。もちろん悩みがないわけではない。どうやったらひとりひとりの読み手をもっと笑わせることができるだろうか。多くのひとにこのエッセーを届けるためにはどうすればいいだろうか。そんなことを考えている。

 そして、ある時、ふと思ったのだ。そうして日々可笑しなことを収集している私こそが、可笑しいのではないか。そうなんだ。私は可笑しいのだ。そしてそんな私の目を通してみた可笑しな世界をこれからも少しずつ書き綴っていきたい。これからもご一緒いただければ幸いである。