可笑しなことの見つけ方

日常で見つけた可笑しなことを書いていきます。毎週木曜日20時ごろ更新予定です。

スケッチブックを片手にぼくらは

 夏のカラッと晴れた日の夕方、気持ちのいい海風が吹いている都心の駅のペデストリアン・デッキを歩いていた。ベンチの近くで、大学生くらいの背の高い男の子と背の低い男の子がふたり、愉しそうに話しているのが遠くから見えていた。彼らはスケッチブックを広げて、次々とめくりながら、歓喜を隠せずにいる。
 私は通り際に、彼らがどうしてそんなに愉しそうにしているのか気にしながら歩いていた。なにかデッサンでもしたのだろうか。なにしろ愉しそうなのだ。そして、ずっと近づいてみると、スケッチブックいっぱいにマジックの太い文字で
「名古屋」
と書かれているのが目に入った。背の高い方が1枚めくると、こんどは
豊橋
とあった。それで私は理解した。ヒッチハイクだ。彼らはヒッチハイクしてきたのだ。そして、その思い出を二人で振り返りながら歓喜していたのだった。
 彼がもう1枚めくると、今度は
「新潟」
と書いてあった。随分と距離が離れているのが不思議だったが、そういうこともあるのかもしれない。
 遠くから見ただけではわからないが、近づいてみると、なにが起こっているかわかることもあるのだ。一方で、近くで見ていてもなんなのかわからないこともあるものだ。
 夏休みに電車に乗っていたら、向かい側の席にえんじ色のペアのTシャツを着た小学生の兄弟が並んで座っていた。弟の方はまだ小学校に上がる前だったかもしれない。そして、スポーツ刈りにした兄弟を挟むようにして、両脇には母親と祖母とおぼしき二人の女性が座っていた。
 私が本を読んでいると突然、
「犬も歩けば!」
と大きな声が聞こえた。本から顔を上げると、向かい側に座った兄の方が、カードの束を持ち、叫んだと思えば、すぐにカードを1枚弟に渡すのだ。
「石の上にも!」
 カードを弟に渡す。
「猿も木から!」
 やはり間髪を入れずカードを弟に渡す。弟の方は、表情ひとつ変えずに兄からカードを受け取ると、それをすでに手にしたカードの束に重ねている。母と祖母はそれを微笑んで見守っている。
 これはいったいなんなのだろうか? 私は茫然とした。ことわざの上の句(というかは知らないが)を次々と叫んでいる彼らが、なにをやっているのか、まったくわからなかったからだ。あのカードには何が書かれているというのか。下の句が書かれているのだろうか。母や祖母の微笑みは、兄の成長を喜んでいるようだ。
 家に帰ってから、ひょっとして兄は弟に出題していたのではないかと思い当たった。しかし、それにしてはカードを渡すのが早すぎるのだ。弟は答えを考えるより先に、カードを渡されてしまう。いったいあれはなんだったのだろう。近くで見ても、わからないものはやはりわからないものだ。