可笑しなことの見つけ方

日常で見つけた可笑しなことを書いていきます。毎週木曜日20時ごろ更新予定です。

予測不可能なおじさんたち

 ちょうど店の端っこのサービスカウンターで応対する若い店員さんの声が聞こえてきた。休みの日に渋谷の大きな書店で本を探していたのだった。

「当店には在庫がないようですね」
 ふとそちらを見やると、カウンターの前にはポロシャツに短パン姿の背の低いおじさんがいた。目当ての本を探しに書店にやってきたのだろう。
「お時間をいただければ、ほかの店舗に在庫があるか確認いたしますが」
 店員さんが電話をしている間、おじさんは周りを見回したり、手持ち無沙汰な様子でそこに立っていた。健康の本か、趣味の本か。私はどんな本を探しているのだろうかと気にしながらも、自ら手に取った本をめくっていた。
「渋谷店です。在庫の確認をお願いいたします」丁寧に店員さんが伝える。
「書名がですね、『仕事の本質』です。はい、「しごと・の・ほんしつ」です」
 私は不意をつかれ、咄嗟におじさんを見た。いったい、おじさんはなぜいま仕事の本質なのかと私は思ったのだ。そして、次の瞬間に反省した。そう、少しバカにしてしまったことに気づいたからだ。なぜ私はバカにしてしまったのか。どんな本だったらよかったというのか。難しそうな本ならよかったのか。十返舎一九東海道中膝栗毛』だったらどうだろうか。あるいは、分厚い本ならよかったのか? プルースト失われた時を求めて』だったら。

  しかし、そんなことはどうでもいい。何よりも大切なことはひとをバカにしてはいけないということだ。クーラーの効いた部屋でネットで検索をし、安易にポチッと購入ボタンを押して、宅配便にポストに放り込ませている私にこのおじさんを批判できるだろうか。おじさんは知りたかったのだ「仕事の本質」を。そして、私はもっともっといろんな本との出会いがあるといいねと思ったのだった。

 可笑しさを味わうことと、バカにするのはまったく違うことだ。ひとをバカにしている時、実際にバカにされているのは自分自身だと気づくべきだろう。予測不可能なおじさんたちの行動に対して、可笑しさを見つけつつ、バカにしないことが試されている。そのことを心に留めつつ、もうひとつの例を考えたい。
 コーヒーショップで本を読んでいた時のことだ。
「あなた、なにになさるの?」とお年をめした女性がゆっくりと席に着こうとしているおじさんに向かって尋ねていた。ご夫婦だろう。おじさんはなにやら奥さんに伝えていた。
 カウンターで女性は言った。
「こちら、アイスクリームあります?」
 すると店員さんが
「アイスコーヒーですか? ございますよ」と答えた。
 女性はもう一度ゆっくりと丁寧に
「いえいえ、アイスクリームございます?」と言い直し、
「アイスクリームですか。アイスクリームは取り扱ってないんです」と申し訳なさそうに店員さんが言うと、女性は遠くに座っているおじさんに通る声で言った。
「あなた、アイスクリームはないんですって」
 すると、おじさんは
「えぇ? ん、なんだって?」と返す。聞こえないようなのだ。
 女性がもう一度、「ないんですって、アイスクリーム!」と言い直すと、おじさんはふんっと鼻を鳴らし、
「コーヒー屋なのに、アイスクリーム、ないのっ!」と声を上げたのだった。
 もちろん、言っていることはめちゃくちゃだ。アイスクリームとコーヒー屋は関係ない。でも、言いたいことはわからなくはない。アイスクリームがどうしても食べたかったのだろう。急に暑くなった日だったのだ。私は今度はこのおじいさんと奥さんの可笑しなやりとりをほほえましく見ていたのだった。