可笑しなことの見つけ方

日常で見つけた可笑しなことを書いていきます。毎週木曜日20時ごろ更新予定です。

ポール・オースター『リヴァイアサン』のいたずら

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 少し趣向を変え、今回はぜひ夏休みに手にとってほしい本を紹介したい。ポール・オースターの『リヴァイアサン』である。物語は、語り手である小説家ピーターが、全米中の自由の女神像をつぎつぎと爆破している最中に不注意から爆死してしまった男が実は親友のサックスであると新聞を読んで気づくところからはじまる。人懐っこくて誰とも親しくなることができ、戦争や暴力を徹底的に憎んでいた親友が、どうしてこれほど極端な行動に出、結果として非業の死を遂げることになってしまったのか。当の本人にも、彼にも本当のところはわからない。だからこそ、その事故に至るまでに、彼の人生という舞台に出たり入ったりしていった女性たちとの偶然の出来事を丁寧に拾い集め、語っていく。結果としての爆死は数々の奇妙な偶然につぐ偶然がもたらしたものだったと言えるのかもしれない。

 よく考えてみれば、ポール・オースターという作家ほど、度重なる偶然がひとの人生を予想もしない遠くへ運んでいくことをありありと描き、かりにそれが酷い結果だったとしても、そのことをなるだけ好意的に受け入れようとする物語を書く人はいない。『リヴァイアサン』においても、ピーターとサックスの出会いはやはり度重なる偶然がもたらしたものだった。ふたりはニューヨークに大雪が降ったある夜、もはや誰も客は来ないだろうと思いつつも、なんとかして朗読会の会場にやってきたことで出会い交遊を深めることなった。そして、ピーターはサックスについて、事件について語ることを託されたと強く感じることになる。
 私はこの小説に強い感銘を受けたが、この『リヴァイアサン』にはもう少し違う意味で思い入れがある。それは数年前のことだ。私は吉祥寺のジュンク堂書店にいた。少しまえに『リヴァイアサン』を読み終えていた私は、たまたまペーパーバック版の”Liviathan”を棚から手に取ったのだった。そして、表紙から数ページをめくるうち、何か奇妙に感じたのだった。ページの隅をよく見てみると、そこには、
 “Pick Up”
と書かれていた。そして、そのページに印刷されているものは”Liviathan”ではないようだった。私はこう考えた。Penguin Booksの広告かなにかで、ペーパーバックの冒頭数ページを別の小説の広告として掲載するキャンペーンなのではないか。なにしろ、”Pick Up”と題されたページである。
 私はつぎつぎとページをめくっていった。そして、16ページまでたどり着くと、そこから唐突に、ほんとうの”Liviathan”が途中からはじまっていたのだ。冒頭の16ページでなにかおすすめの小説をピックアップしているのではなく、”Pick Up”というタイトルの小説が紛れ込んでいたことに気づいた。私は印刷機や製本装置が並ぶ印刷所の風景を思い浮かべた。これをたんなる製本のプロセスでの間違いと考えることもできただろう。しかし、”Pick Up”なんていう名前はあまりにうまく出来すぎである。私はただのミスであるよりも、なにかしらのいたずらであったと信じたいと思った。そこに生身の意思をもった人間がきっと介在したのだ。それを私は偶然にも手にしているのだ。私は心を掴まれた。梶井基次郎の『檸檬』さながらに、私もやはりその”Pick Up”のいたずらという爆弾にやられたことになる。それ以来、私にとって『リヴァイアサン』はいっそう思い入れ深い一冊となった。
 小説の中の偶然は、決して小説の中にとどまらない。現実世界にその偶然は手をしっかりと伸ばし広がっている。少なくとも、そう感じさせる力がこの小説にはある。ぜひ夏休みに手に取って読んでいただきたい。そして、もっと偶然を好意的に受け止めてみてほしい。