可笑しなことの見つけ方

日常で見つけた可笑しなことを書いていきます。毎週木曜日20時ごろ更新予定です。

誰を感化するかわからない

 急に暑くなったけれど、朝はまだ外を歩くのに気持ちがよい。駅から会社への道を朝歩いていると、大きな太鼓の音や、マイクでアナウンスする声が聞こえてきた。ちょうど、会社へ向かう道は小学校の校庭に沿ってつづいており、先月の連休明けから校庭では運動会の練習が行われていた。運動会と言えば10月とばかり思っていたが、神奈川県では5月にやるものらしい。

 毎朝、校庭で入場行進をしたり、頭に色とりどりのはちまきをした生徒たちが踊ったり、競走をしているのを見て、季節もいいことだし、運動しなくてはいけないなと感化されたのだった。
 ところが、感化されるのはその時だけで、それがそのまますぐには運動に繋がらない。毎日見てはいるが、なかなか運動するところまでは及ばないのである。
 何日目かのことだった。歩道を歩く人が何人かいた。私の前にはスーツ姿のおじさんがとぼとぼと歩いていた。私はそれとは対照的であろう校庭での入場行進の練習風景を歩きながら眺めていたのだった。実行委員だろうか、マイクをもった上級生が
「赤組の入場です」と言い、旗手を先頭に行進し始めた生徒に向けて、
「右、左、右、左。胸を張って、大きく手を振りましょう!」

と少し棒読みだが、生徒たちに訴えかけていた。私は赤組の生徒たちが、きびきびと歩き出すのを眺めていた。しかし、それほど話は簡単ではなく、列の後ろの方に行くにつれて、ぐだぐだな歩き方になっていく。やはり、奇麗に行進するのは、なかなか難しいものなのだ。甲子園の入場行進のようには、行かないのだと得心しながら、向けていた視線を、歩道に戻した時だった。驚くべきことに、前を歩いていたスーツ姿のおじさんが、胸を張り、大きく手を振り、そして足をしっかりと上げながら行進しているのである。いったい、なぜおじさんは突然取り憑かれたように、ひとり行進し始めたのだろうか。実行委員のリズムとは違う、もっともっとゆっくりとしたリズムで、イチ、ニ、イチ、ニとリズムを刻んでいく。
 私は突然のことに笑いをこらえるのに必死だった。と同時に、おじさんを感化したのはなんだったのかと考えた。もちろん、運動会がきっかけになったのだ。しかし、運動会の行進がきっかけだというなら、歩道を歩いていた人はみな等しく行進してもよさそうなものである。しかし、行進したのはたった1人。1人のおじさんだけである。私ははたと気付いた。彼はその時、遠い遠い昔、はじめて小学校の校庭を行進させられたあの運動会を思い出していたにちがいないのだ。
 実行委員の指示は赤組の生徒に向けられたものだったが、その指示は誰にきっかけを与えるかわからないのである。そして、今は誰もその声に従わないように見えたとしても、遠い未来のおじさんをまた感化しているかもしれないのだ。