可笑しなことの見つけ方

日常で見つけた可笑しなことを書いていきます。毎週木曜日20時ごろ更新予定です。

旅行が旅に変わる時

 計画を立て、旅行する。そして、旅行に行って帰ってきてみると、これは旅だったなと思う。旅行と旅の違いは、どれくらい予想もしなかった人やものごとに出会えたかという点にあるのではないか。そして、旅行から旅へとどこかで一線を越える瞬間が確かにあると思うのだ。

 後から考えると、あの時が転機になったんだなとわかることがある。スティーブ・ジョブズがかつて有名なスピーチで言った「connecting the dots」だ。その時にはわからないが、後になってみれば点が線でつながって見える。

 南三陸のさんさん商店街で昼食をとり、そして商店街の店々を見て回っていた。その日は朝から翌日の気仙沼ハーフマラソンに出るために、大学の先輩たちと仙台から気仙沼に向かっていたのだ。ところが、午後になると風が強く途端に寒くなった。体感温度は2度。薄着をしていた私は、何か暖をとれないものかと思った。魚屋の店先のほやなどを見ていておもむろに目についたものに手をかざした。

「タコで暖をとる」

 いや、私もそれはどうかと思ったのだ。何しろタコだ。ところが、茹でたてのタコの塊に手をかざすとかなり暖かいのだ。見かけは変だとしても、実際には用を足すことが出来ることを今後そう表現してもいいのではないかとさえ思った。

 そして、明らかにあそこを境に、次から次へと予想もしなかった可笑しなことが起こったのだ。いや、起こったのではなく、至る所に可笑しなことはあるのだ。しかし、私たちはそのことを見過ごしてしまっている。それらがしっかりと見えるようになったと言うべきかもしれない。

 フェリーの窓の外には、けなげにフェリーに付いてくるカモメの群れがあり、なかなかいい景色だなと思った。しかし、実際にはフェリーの甲板からかっぱエビせんを投げつづける客がいたのだ。

 民宿もすごかった。地元の海の幸盛りだくさんのおもてなしにも驚かされたのだが、可笑しなことにも驚かされた。同室になった学生さんに宿のおばあさんが聞くのだ。

「今日も自転車でいらしたんですか?」

「えぇ、そうです。一ノ関から自転車に乗ってきました」

 すかさずおばあさんが真顔で聞くのだ。

「自転車って、、あの自動の?」

 もう一つ一つが可笑しい気持ちになり、一挙手一投足に吹き出しそうになる。夕食の時、食堂の壁に貼られたポスターに意表を突かれた。JAか何かが配っているのだろう、

「産地がわかるトレーサビリティ」

と書かれた下に、

「当店のお米は___産です。」

と産地を書くようになっている。ところが、その穴埋めのところに手書きでただ

「国内」

と書かれているのだ。

 試合を終えた帰りのことだ。もう可笑しなことはあるまいと感慨にふけりながら、車の中から外の風景を見ていると、大きな建物が見えてきた。

ファミリーレストラン・古戦場」

いや、いくらなんでもその名前はないのではないか。私は気付いた。かつてそこが何であったかをファミリーレストランの名前にするとみな可笑しいのだ。例えば、「ファミリーレストラン・元病院」。それは、とにかく駄目だ。そんなところに行くものか。あるいは「ファミリーレストラン・元鈴木家」。いや、ますます駄目だ。鈴木家はどこへ行ったのだ。ふぁみりーをファミリーを追い出してまでファミリーレストランを開業する必要が果たしてあったのか?

 話を戻そう。ファミリーレストラン・古戦場の可笑しなところは名前だけではなかった。建物の上に大きく掲げられた看板には、さらに「人工温泉」と書かれいるのだ。それはもはや温泉ではないのではないかと考え込んでしまった。

 一旦、旅に出てしまうと、私たちはもはや可笑しなことからは逃れることが出来ないのであり、それがまた旅の醍醐味だろう。そして私はこのような体験をさせてもらった東北にまた足を運びたいと思ったのだった。