極度の心配性
チャックが生地に絡まった。春先になりなんとなしに羽織ったパーカーだった。チャックを閉める指先に、いつもと違う引っ掛かりを感じた時には既に遅かったのだ。どこにそんな隙間があったのだろうかというチャックの鎖の間に布地が挟まっている。これは大変なことになった。慌ててチャックを手前に戻そうとするのだが、力を入れて動かせば動かすほど、チャックの遊びの部分はなくなっていき、もはやどうにもならない。私は焦りはじめた。
ひょっとして一生このままチャックは外れないのではないか。
そうだ、極度の心配性というやつなのだ。頭ではわかっているが、突然のトラブルに私は不安を隠せない。もちろん、チャックが一生外れなくなってしまった人などいないのだ。でなければ、次のような広告に出会っていてもおかしくないはずだ。
「開けチャック119番(24時間受付)」
どれだけやっても開かないチャックに困り果てた私は電話をする。
「こんにちは、開けチャック119番、鈴木が承ります。そうですか、メーカーは? 持ち手のところに、YKKとか書いてませんか? あ、YKKじゃなくても、ぜんぜん大丈夫ですよ〜」
そんな業者の世話になったという人に会ったことがあるだろうか。あるいは、開かなくなった人のチャックをあっさり開けてくれるような人が職場に1人くらいいたっておかしくない。
採用の面接官は履歴書の下の方に書かれた特技に目をやり、またかと思ったのだ。
「特技:絡まったチャック開け」
そして、朝新聞を開くとこんな記事が目に入る。
「<特集>共に生きる チャック外れないまま81年 ギネス記録の人に訊く」
ーーいままで外れるって思ったこととかはないんですか?
チャックさん: いや、むしろ毎日外れると思ってます。思いつづけることが大切なんです。今日が駄目ならまた明日。若い人にもそうやって日々希望を持って生きていってほしいですね。
いや、もちろんそんな業者も、特技の人も、ギネス記録もない。まるで外れないかに思われたチャックは、もう無理かと思った瞬間にあっけなく開いてしまうものなのだ。それを知っていれば、心配することなの必要ないはずなのだが、どうしても心配せざるを得ないのが心配性だ。慌ててチャックを閉めたのがよくなかったのだ。まるで
「もっと丁寧に、慎重に生きなさい」
と時折私たちに生活の再考を促すようにしてしばしの間、チャックは開かなくなるのだった。
そして、私はここで気付いたのだった。極度の心配性に問題があるとすれば、極度に心配することではなく、ほとんどすべてのことに対して、ほとんどすべての時間を「心配せずに生活している」ということのほうなのだ。