可笑しなことの見つけ方

日常で見つけた可笑しなことを書いていきます。毎週木曜日20時ごろ更新予定です。

丁寧なバス運転手

 雨の日の朝に駅へと向かうバスはかなり混雑している。私自身もそうだが、普段は歩いたり、自転車に乗ったりする人たちがバスに乗るからだし、道も渋滞しがちだからだ。最近はバス停に「あと3分で到着します」などといった案内が出るようになっている。とても便利になったのだが、3分ほどしてバスが到着してみると、既に客がガラスに貼り付くほどに乗っていたりする。そして、運転手の声がバスの外に取り付けられたスピーカーから鳴り響く。

「満員ですので、通過しまーす」

 仕方がないのだが、やはり落胆する。表示を見ると「あと7分ほどでバスが到着します」とある。しかし、次に来るバスに乗れる保証だってないのだということに気付き、不安になる。バスの後方を見ると、まだスペースがあるようにも見える。後ろに詰めてくれれば乗れるんじゃないかなと考えたりもするのだが、無情にもバスは走り去っていく。

 だからというわけでもないのだが、乗れた時にはお互いさま、なるべく後ろの方に詰めるようにしている。後のバス停で乗れない人が出ないように、後ろの方へと詰めるのだが、人が立っており奥へは進めないという時もある。しかし、運転手も手慣れたもので、後ろのドアから降車した客のスペースを活用して、

「後ろのドアからお乗りください。運賃は降車時で結構です」

と後ろから乗せたりもするのだ。

 先日乗ったバスの運転手さんはとても丁寧な人だった。一人一人が乗り込んでくると、

「おはようございます」と笑顔で応じているのだ。そして、発車する時や、停車する時のマイクで言うその言い方もまた丁寧なのだ。おそらくその場に居合わせた乗客もみなその佇まいに安心感を抱いていただろう。バスが次の停留所にゆっくりと止まると、運転手はマイクを通じてこう言った。

「混雑しておりますので、お急ぎでしたら後ろのドアから乗車ください」

 私は周りを見回し、そして驚いた。何しろ、そのバスは混雑していないのである。しかし、運転手は至って冷静だし、丁寧でやさしい口調だから、異論を唱えようとするものはいないのである。次のバス停でもやはり、運転手は「お急ぎでしたら後ろのドアから」と言っている。別に急いでない人を前のドアから乗せてくれるわけではない。後ろから乗らないなら次のバスをと、やはり丁寧に言っているのである。世の中にはさまざまな運転手がいるのだろうが、私はここに「やたらと後ろから乗せたがる運転手」という新しいジャンルを発見したのだった。朝からいいものを見させてもらったとホクホクした気持ちになった。

 いろんな運転手がいる。昔、八王子に住んでいた時のことだ。休みの日の昼頃で駅へ向かうバスには数名の老人しか乗っていなかった。私はつり革を持ち、立っていた。大きな橋を渡り、幹線道路を横切った先にバスが停車した。運転手からは表情が失われており、ただ無言で運転席に座っていた。一人の乗客を乗せると前を向いたまま、

「発車します」

とだけ言い、バスはゆっくりと走り出した。発車しますと言って走り出したのだから、問題はないようにも思えるのだが、問題は走り出したバスが目の前にある信号を赤信号のまま通過したことだった。まわりの乗客はだれもそのことに気付いていないようだった。私は心配になって運転手を見たのだが、運転手は前方をしっかりと見ており、表情一つ変えず、冷静なままなのだ。

 私は途端に恐ろしくなった。これが普通の乗用車を運転している人がうっかり信号を見落としたとかであれば、もちろんよくないのだけれどありえそうである。しかし、これはバスなのだ。運転手が「しまった」という表情をしてくれていたら、うっかりだなと安心したかもしれない。しかし、運転手は表情ひとつ変えない。そしてバスは少しずつ加速していくのだ。私は思った。このままバスは二度と止まらないのではないか。一度走り出したが最後、取り憑かれた運転手はハイウェイに乗り、バスを暴走させつづける。そんな映画があった。大丈夫なのか、大丈夫なのか。私は焦った。焦って周りを見た。周りの乗客は膝の上に手を置き、ぼんやりとしていたり、眠っていたりする。運転手の異常に気づいているのは私だけのようだ。みんないったい何をしているのだ。

 ところがしばらくすると加速していたバスは、一気に減速し大きな交差点で停車した。ギッとサイドブレーキを引き、アイドリング防止のためエンジンを止める。ぷしゅーという音が鳴る。バスは止まったのだ。彼は取り憑かれたわけではなかった。危機は去ったのだ。ただ冷静に信号無視しただけなのだ。そして、私はここに「冷徹に赤信号を通過する運転手」というジャンルを新たに発見することになったのである。