可笑しなことの見つけ方

日常で見つけた可笑しなことを書いていきます。毎週木曜日20時ごろ更新予定です。

結果を知ってから試合を観る

 朝起きて最初に観たニュース番組で羽生結弦くんが金メダルを採ったことを知った。それから実際の競技の録画を観た。だから私は安心して観ているわけだが、ジャンプで4回転し着地すると予想に反してこけてしまった。ここから挽回するのだなと思っていたのだが、再びジャンプでこけてしまった。あれっ?あれっ? もちろん金メダルを採ったことは知っており、だから心配することもないのだが、私は意味もなく心配することになった。結果を知ってから試合を観ることは、結果を知らずに観るのとは違う見方になる。それは必ずしもいけないことではない。むしろ、結果を知ってから観るからこそ味わえる味わい方があるのだ。

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 それで思い出したことがあった。5年ほど前の夏、ちょうど山陰地方を旅行し、最後に下関に泊まった日のことだ。ゆっくりと朝起きて、帰り支度をしながらテレビを付けると、ローカルテレビ局では高校野球の県大会の決勝戦が放送されていた。ちょうど前日の夜にホテルのロビーか何かで目にした新聞に「下関工、県大会初優勝」というような見出しが出ていたのを記憶していた私は、なんとなくその録画中継の決勝戦を観た。普段なら落ち着きがなく少し観たらチャンネルを変えてしまうのだが、その日は何かがチャンネルを変えようとする私を思いとどまらせたのだった。何かが引っかかったのだ。

 それが優勝するはずの下関工がかなり負けているという事実によるものだと気付くまでには少し時間が必要だった。試合は中盤、5回が終わったあたりだっただろう。得点は5−2くらいの点数差だった。そして、下関工がここからどのようにして逆転優勝するのか、そのストーリーを考えている自分を発見するのだった。どこかで満塁ホームランが出るのだろうか、それとも毎回こつこつと点数を入れていくのか。私が考えている前で凡打が続き、あっという間に相手側の攻撃に移った。

 その日、私は岩国の錦帯橋も観に行きたかったので、テレビをずっと観ているわけにもいかず、荷造りをし、そしてシャワーを浴びた。シャワーを浴びて出てくると、ちょうど試合は9回裏だった。画面を観て私は驚いた。下関工が相変わらず負けているのである。しかも、点数差はさっきよりも開いているようだった。

「どうやってここから逆転すればいいのだ?」

 球場の選手すらあきらめていたかもしれない。私だけがあきらめていない。なぜなら優勝すると知っているからだ。しかし、勝つとわかっていても心配せずにはいられない。私は画面に釘付けになった。そしてまた私は感謝すらしたのだった。結果を知っているからこそ、こうして真剣に勝つまでの道筋を素人ながらにも考えることが出来るのではないか。うろ覚えだが、最初のバッターは随分とファールで粘った後、鈍く打ち返した球が内野を転がりゴロを取られた。大丈夫なのだろうか? そして次のバッターはあっけなく三振を取られた。いよいよ9回裏ツーアウトまで来てしまった。相手は油断し始めている。そして、ここから怒濤の逆転劇が繰り広げられるのだ。この時点でそれを知っている者は、球場にはいない。私だけが知っているのだ。パンツ一枚の私は画面の前から離れられなくなった。

 チームを逆転へと導くことになる3人目のバッターは初球を力強く打ち返した。ここでホームランなのか? カメラは天を仰ぐ内野手を映した。彼は大きく手をぐるぐると回し、周りに合図する。そしてグラブをかざした。これを落とすというのか? エラーからすべては始まるのだ。なんとすごい試合を目撃しているのだ。私は興奮した。もはや私の想像の範囲を超えている。頭がパンクしそうだった。

 その時、アナウンサーが淡々と言った。

「取りました」

 私は声を出さずにはいられなかった。

「えー、取ったのか?」

 アナウンサーは続けた。

「ゲームセット!」と驚くこともなく言い、そして解説の人に挨拶をしてその場を片付けようとしている。

「えー、ええええええ?」

 その映像が前年の県大会のもので、下関工が惜しくも負けてしまった試合だとわかったのはその時だった。なぜ、そんなものを放送していたのか、私にはいまだにわからない。