可笑しなことの見つけ方

日常で見つけた可笑しなことを書いていきます。毎週木曜日20時ごろ更新予定です。

パン工場の夜

 仕事で疲れてくると、夜通しパン工場でアルバイトをした遠いあの大学生の日々のことを思い出す。あの頃は金が本当になくて、サークルの先輩に教えてもらったある大手製パン会社のパン工場でしばしば夜勤のアルバイトをしたのだった。

 事前に聞いていたのは、まるごとバナナのためにバナナを一晩中剥き続けるとか、オーブンから出て来た鉄板を受け取っては、棚に載せ続けるとか、単調だがキツい苦行のような作業だった。私が初めて工場の夜勤受付に行くと、受付の女性は数字だけが書かれたネームプレート付の作業帽を渡し「配属は和菓子1課です」と言った。

 私は和菓子1課ではどんな苦行が待っているのかと想像したのだが、着替えを済ませた私を待っていたのは、饅頭をカップにパッケージングするラインだった。2本のベルトコンベアーの片側を等間隔で饅頭が流れてくる。もう一方のコンベアーに饅頭のカップを置く。流れてくる饅頭をカップの上に移す。蓋を被せる。そしてコンベアーの先の方にある機械の中でカップはフィルムでラッピングされるのだ。これを3人で受け持つことになった。作業監督が最初に説明をした。

「例えば、ここで一つでもカップを置き忘れようものなら、このラッピングする機械が故障する」

 いま考えれば、そんなことはないのではないかと思うのだが、当時は純粋だったのだろう。そのことを信じた。そして、万一カップがうまくめくれずに、2枚重なっていても、漏れなく置くことに必死になった。

 夜半過ぎのことだ。饅頭の生産ラインが終了すると、その場に居た私たちアルバイトは呼び集められ、違うラインに連れて行かれた。次は何を作るラインなのだろうかと機械を観察していると、作業監督は突然

「今から肉まんのラッピングを行う」

と宣言した。つまり、そこは肉まんのラインだった。私は驚いた。何しろ肉まんである。それは果たして和菓子なのか? これは可笑しい。たとえば、小学生が遠足のお菓子は500円までと言われた時に、500円分のふかした肉まんを持ってくる子供がいたとして、その子のあだ名は次の日から肉まんになるのではないか。なぜそのような名前になるかと言えば、肉まんはもはやお菓子ですらないからだろう。

 そのような思考をその場でしたのか定かではない。ただ、たぶんしなかっただろうと思うのだ。もちろん考える余裕がないわけではなかった。なぜなら、黙々と機械的に手を動かしているとき、私たちの頭はすっかり空いているのだ。ところが、ものごとを考えることを期待されていない場所では、私たちはいとも簡単に考えることを放棄してしまう。誰も禁止などしないのに、どうせそんなことを考えても仕方がないがないと。とにかく私たちは指示されたことを間違わないように実行するよりほかなったのである。

 いよいよ肉まんの包装ラインが動き出した。機械を動かしているのは社員で、あとは全員アルバイトだ。バイトの中にも常連と、私のようにたまたまその日にやってきたものとがいる。常連は慣れてもので、そこはこうするんだよなどと私たちに指図をするのだった。5つ入り用の長細い透明のカップをラインに置くと、後に続く2人が肉まんを5つその上に置く。上下から延びるフィルムがそれを覆い、向こうに見える機械の中で裁断されラッピングされていく。

 しばらく順調に流れていたかと思うと、突然ラインが止まった。止まると機械の上に付いた黄色いランプがクルクルと回り、サイレンのようなものが鳴り響く。社員はまた故障だと言いながら、調整をしたり、工務部を電話で呼び出し慌ただしい。しかし、アルバイトは突っ立ったまま束の間の休息を味わことができる。遠くで動く違うラインの機械の音が聞こえる。湯気で満たされた空気を吸い込むと、消毒用のアルコールのようなにおいがした。

 すると突然また機械が動きだす。

「ほら、カップを置け」

と常連が言う。休息も束の間、私はまたカップを隙間なく置くことに専念しなくてはいけない。このようなラインの停止が何度かくり返された。すでに2時間以上このラインで作業を続けただろうか。一定の姿勢で体を固定しているために、徐々に肩から腕に掛けて感覚が麻痺してくる。と、再びラインが停止した。今度はやけにしんとしている。数分経ってもラインは止まったままだ。誰もその原因がわからない。しかし休息はありがたい。その場で伸びをしたりして体をほぐしていた。もうかなりの量の肉まんが出来上がったのではないか。疲労とともに、かなりの達成感があった。

 すると今度は遠くで怒鳴り声が聞こえた。ものすごい勢いだが何と言っているかはわからない。最初は遠くで聞こえた怒号がだんだんとこちらに近づいてくる。

「こらぁ、ごらぁ〜、なにしとんじゃ〜」

 その声は次第に大きくなりそして、私たちのところにたどり着いた。そして、怒号の主はやってくるやいなや、その場に居た社員の頭を思いっきり叩いたのだ。

「おまえー、これ何しとんじゃー」

 私たちは唖然とするしかなかった。そして、一同を前に罵声の主は言った。

「これ、全部あんまんやろがぁ」

 今度は私たちの番だった。肉まんと書かれた大量のあんまんのラッピングを夜通し剥き続けなくてはならなかった。