可笑しなことの見つけ方

日常で見つけた可笑しなことを書いていきます。毎週木曜日20時ごろ更新予定です。

それでも研修は受けなければならない

 先日、帰省した折に、地元の友人・ヤマムラと飲んだ。彼は可笑しな話題に事欠かない人物なのである。そのいくつかをこのエッセイで紹介する許しを得た。

 彼はとある企業の大阪支社で働いており、ある日研修を受けることになった。最近では参加型のものが多く、退屈はしないが内職は出来ない。彼はとある事情で忙しく、出来れば研修を遠慮したかった。しかし、上司は譲らなかった。

「どうにかして受けてくれないか」

 全員受講のノルマがあったのだろう。その気持ちはわからなくない。それに研修で学んだことは、いつどこで何が役に立つかわからない。何事も機会があれば経験しておく価値はあるのだ。だから、少々忙しくったって、研修は受けておいたほうがいいのかもしれない。しかし、それがたとえば退職するその日に受けなければいけないとしたら、話は別である。

 日本中を探せば、退職する日に、退職する人に向けた研修を開いている企業だってあるかもしれない。明日から会社の外に出て行く人に向かって、社会の渡り歩き方を指南してくれるような、そんな企業だってあるやもしれない。しかし、彼が受けることになっていた研修は、もちろんそんなものではなかった。彼が受けることになっていたのは、「来月から新しくなる業務システムの使い方」についての研修だった。

 よりによって、その日で会社を辞める人間が、次の月から使うシステムの使い方を教わらなければならないのである。研修の講師は本社から派遣されてきた教育部門の担当者だ。彼が今日で退職することを講師は知らされていない。講師は淡々と新しいシステムの使い方のポイント、現行システムとの違いなどを説明していく。それをヤマムラは後ろの方の席に座って聞いていた。そして、彼はなんとなく予感していたのだった。こういう時に限ってよくあたるのだ。それとも、興味なさそうにしている雰囲気が講師には伝わるのだろうか。彼は名簿に視線を落として言った。

「はい、ではヤマムラさん、この場合は1、2、3のどれでしょうか?」

 当てられて彼も驚いたのだが、驚いたのは、同じ支社の社員たちだった。みな後ろを向き、

「えっ、なんでいるの?」

という表情をした。みな彼が今日で退職するのを知っているのだ。なぜ受けさせられているの?という視線が彼に注がれた。そしてそれは教室全体に不思議な間を生み出した。

 講師も、何かその場に不穏な空気を感じたものの、何事もなかったようにヤマムラが

「えーっと、3番ですか?」と答えると、

「はい、正解です!」とテンションを上げ、嬉々として言うのだった。「そうなんですね、この場合は3番になります」

 こうなってくると、もはや支社の社員たちは共犯関係である。知らぬは講師だけで、支社の社員はみなまるでヤマムラもこのシステムを使っていく社員の一人だという雰囲気を作り出す。決して彼が今日をもって会社を辞めるなどと悟られてはならないと、意味もなく肝に銘じるのだった。そして、講師はその変な空気のせいなのか、度々うっかりヤマムラを当ててしまうのだ。

 こうなると仲間たちは、もう「がんばれヤマムラ」状態である。なんという結束力だろうか? 使うことのないシステムの研修から学ぶことはないだろうが、研修を受ける意味がないわけではなかった。