可笑しなことの見つけ方

日常で見つけた可笑しなことを書いていきます。毎週木曜日20時ごろ更新予定です。

お正月らしい可笑しなこと探し

 あけましておめでとうございます。いつもご愛読ありがとうございます。このブログを始めてから3ヶ月が経ちました。今年もまたくすっと笑えるようなことを毎週木曜に書いていきます。いつもとは言いません、ふと思い出し時に読んでいただければと思います。

 さて、世の中はお正月。さすがに、しばらく前に街で見かけた変なおじさんが、とか、人間ドックが、などと言うわけにもいかず、お正月らしい可笑しなことについて述べようとしてみた。ところが、なかなかそれがまとまらないのである。29日から考え始めて、30日、31日、元日と着実に日にちだけが過ぎていくのだ。「正月らしさ」というものに気負いすぎたのだろうか。正月と言えばと考えると、あれも書かねば、これも書かねばと思いだけが先走り、まったくまとまる気配がない。私は徐々に焦りだした。年越し蕎麦を食べながら、紅白を観ながら、雑煮を食べながら、神社に詣でながら、焦りだけがどんどんと増してくる。もうこうなると考えても駄目で、昼寝でもした方がよさそうだ。

 あまりにまとまらないものだから、問いの立て方を変えてみることにした。つまり、正月にふさわしい可笑しなことを探すのではなく、正月に可笑しなことがうまく見つけられないとはどういうことなのか考えることにしたのだ。そして、私はこれを3つに分類した。(1)正月には可笑しなことが存在しないか、(2)正月には可笑しなことを見つける力が失われるのか、あるいは、(3)正月には可笑しなことが満ちあふれすぎて、可笑しなことと、まともなことの境がよくわからなくなっているか、のいずれではないかと。

 当初、可笑しなことが存在しないわけではないだろうと思ったのだ。ところが、何か正月らしいことを取り上げようとすると、一見可笑しなことに見えたものが、あっという間にあるあるネタになるのを避けられない。

 例えば、近くの人への年賀状の宛名を書いているとする。そして、自分の住所と途中まで同じ住所だったりすると、うっかり最後まで自分の住所を書いてしまい書き損じになってしまうのだ。そうだよな、そういうことってあるよな。もちろん今では住所はプリンタで印刷する人が多くなったから、お目に掛かることが少なくなったかもしれない。しかし、これは可笑しなことというよりは、あるあるである。あるあるというのは、もはや市民権を得ていることであり、可笑しなこととは少し違うような気がするのである。

 可笑しなこととは、必ずしも共感できないが、確かにそのようなことが存在すると感じられるもの、また可笑しいとは、そのことに対するある種の客観的で批評的な心持ちである。と、ここまで考えているうちに、ふっと思い出したことがあった。

 高校時代の現代国語の先生の実家の雑煮の話である。冬休みが明けてすぐの授業でイワタ先生は、結婚してはじめて食べた白味噌仕立ての京風雑煮にいたく感激したことを思い出しては、しみじみと語った。私は京都育ちで、だから京風雑煮は大好物である。実家にいた頃は1月の半ばまで何度も作ってくれとせがんだものだった。イワタ先生は京都の人ではなかった。普通、小さい頃から食べなれた味が懐かしく、他の人がどれほど「こっちも美味しいよ」と言っても、なかなか食べなれたものから離れられないものだ。

 しかし、イワタ先生は違った。彼は断言する。

「生まれてからその時まで、雑煮がうまいと思ったことがなかった」

 イワタ先生の故郷は島根県の農家だった。島根と言えば、日本海に面しており、だとすれば出汁は海の幸をふんだんに使った澄ましだろうか、エビが入るのだろうか、などと想像したのだ。ところが、先生が言った雑煮はとんでもなかった。

「うちの郷里の雑煮はね、お湯の中に、茹でた餅が入ってるだけなんです」

 私は愕然とした。そんな雑煮が世の中にあるのだろうか?

「これをね、祖父とかはうまいうまいって何個も食べるんですよ。私はこれが本当に嫌でね、一個なんとか食べるくらいだったんです」

 私はここに私の収集しようとしている可笑しな話の一つの起源を見いだすのだった。よほどよい餅米が採れる地方なのだろうか。しかし、こんな可笑しなことは、そうそうない。可笑しなことは、あるあるネタを目指しているような印象を与えがちであるが、実は真逆である。お正月というのは、地域ごとの違いはあれど、地域ではかなり標準化されている。だからこそ、正月はあるあるネタの宝庫にこそなれ、可笑しなことは、見つけ出すことが困難なのだ。可笑しなことはあくまで少数派であり、うっかりすると見過ごされてしまう。正月のことについて書こうとして改めてそのことを私は実感したのであった。しかし、確かに正月にも可笑しなことは存在する。答は(1)ではない。では、(2)と(3)は? 個人的には(2)や(3)の考察を深めてみると面白そうな気もするのだが、それはまた次の機会としたい。

  こんな感じで、今年も可笑しなことを一つずつ丁寧に拾い集めていきたい。拾い集めたもので皆さんをくすりと笑わせられたら、私にとっても存外の喜びである。ひきつづき読んでいただければ幸いである。