可笑しなことの見つけ方

日常で見つけた可笑しなことを書いていきます。毎週木曜日20時ごろ更新予定です。

オリジナリティ

 家の近くのそれほど人通りのない住宅街を歩いていた時だった。角から現れた中年の女性が駅への道を尋ねてきたのだ。道に迷ってしまったのだろうと考えた私が丁寧に駅への道順を教えたところで相手はこう切り出した。

「川崎から家族で桜を観にきたんだけれど、はぐれてしまって。後で必ず返しますから、川崎までの電車賃を貸してくれないでしょうか?」
これが一時期はやっていて、ああまたこれかと心底ガッカリしたものだった。
 そんなことを思い出したのは、先日読んだ柴田元幸先生が編集されている『Monkey Vol.3』の「猿の仕事」というエッセイで柴田先生がボストンで遭遇したこんなエピソードを読んだからだ。

三十代とおぼしき切羽詰まった女性が近寄ってきて、すみませんこんなことお話するのは本当にきまずいんですけど私ボーイフレンドに背中を刺されてアパートから逃げてきたんです嘘じゃありません何なら背中の傷をお見せしますそれで故郷のウィスコンシンまでバスで帰るのに一二四ドル五十セント必要なんですけどいま十七ドル六十八セントしか持っていなくて普通なら私こんなこと絶対にしないんですけどいまはとにかくお願いするしかないんです、少しでいいですからお金を出してもらえないでしょうか

 切迫した女性に柴田先生はいくらか寄付をされたらしい。背中を刺されているはずもないが、「何なら背中の傷をお見せします」という言い方が何より可笑しいではないか。嘘だとわかったとしても、迫真の演技だったり、面白かったり、その人なりのオリジナリティがあれば、場合によってはそのオリジナリティの分くらいは払って上げてもいいような気が私もするのだ。だとしたら、どうして川崎までの電車賃を求めた女性に私はひどくがっかりしたのか。それは、使い古された手口を何の工夫もなく使っているその女性が、私にはその手がまだ通用すると安易に考えているからだし、こいつなら金をくれるんじゃないかと低く見られている気がするからだ。
 工夫やオリジナリティは重要だ。それは今年の冬に降った大雪の次の日にも感じたことだった。積雪やポイント故障でその日も電車はかなり麻痺していた。電車は駅に随分と長い間止まったままだった。駅員が放送を繰り返していた。
「すべての駅に電車が停車しております。駅間の立ち往生を防ぐため、前の駅を電車が発車しましてからの発車となります」
 待ちくたびれて苛立った中年の男性が電車から降りてその場にいた駅員に噛み付いた。
「いつまで待たせるんだ」
「申し訳ありません。前の電車が発車してからの発車となりますので、もうしばらくお待ちください」
 それはままある光景だが、それにつづいて男性はこう言ったのだ。
「すべての駅に電車が停車してるんだろう。前の電車が発車してからって言ったって、すべての駅に電車が止まってるんなら、どの電車も動かせないじゃないか。どうするんだ!」
 男性はものすごい剣幕でそう言い、それを聞いていた私は確かにそうだと思ったのだ。それは新しい知見だと私は感心し、そしてその必死に噛み付いている男と駅員のやりとりの可笑しさを、少し笑いながら眺めていたのだった。怒り方にだってオリジナリティがあった方がいい。