可笑しなことの見つけ方

日常で見つけた可笑しなことを書いていきます。毎週木曜日20時ごろ更新予定です。

バリウムを飲む

 またしても人間ドックの話だ。人間ドックと言えば、
「バルウムを飲むのが辛い」とか、
「ゲップを我慢しないといけない」
という話題が一般的である。職場の諸先輩方が異口同音にそのことを言うのを何度も聞いてきた。中でもとりわけ
「装置に乗せられてぐるぐるやられる」というのに怖れを抱いていた。というのも私はわりと乗り物酔いしやすい質なのである。

 検査室に入り、装置に上ると、まず顆粒を飲まされた。私は不安を隠せない。指示にしたがい、おそるおそる少量のバリウムで飲み下すと、口の中がパチパチ、シュワシュワと音を立てる。まるでコーラパンチを口に入れたときのようだった。これが噂の炭酸かと私は思った。残りのバリウムを全部飲むように指示すると、技師はモニター室へと出ていった。

 私は何か聞いていたのと違うぞと思った。まず、バリウムはそれほどまずくないのである。何の味だったかは忘れたが、かつて受診した腸の内視鏡検査の下剤に比べたら、雲泥の差である。これも技術革新の結果なのだろうか。そして、何より不思議だったのはゲップしたい衝動が来なかったことだ。なんともない。しかし、油断してはいけないと自分を戒めた。衝動というものは突然何の前触れもなくやってくるものなのだ。

 装置が音を立ててゆっくりと動き、仰向けの状態で停止した。先輩の話ではこの後、装置によって私はぐるんぐるんやられるということだったのだが、次に技師がマイクを通じて言ったのは、
「ちょっと体を斜め左に傾けましょう」だった。

 拍子抜けした私は、ちょっと斜めに体を回転させたのだが、
「ちょっと傾けすぎです。もう少し戻して」

と技師は続けた。この時、角度もかなりの精密さを要することを私は知った。

 次こそ、この大がかりな装置によって私はぐるんぐるんと揺さぶられるのであろうと予想したのだが、こともあろうか次に技師がマイクを通じて言ったのは、
「はい。そこで右を向いてください」であった。なぜ右を向くのか、しかも自力である。ただ私はとりあえず慎重に体を回転させた。右を向くと、

「そこから俯せになってください」とさらに指示は続いた。私はこのポーズでちゃんと撮れてるのだろうかとレントゲンの出来を気にしながら、俯せになった。すると、技師は再び
「はい、じゃあ一回転しましょう」と言い、さらに「もっと勢いよく、ぐるっともう一回転して、壁にバリウムを塗りましょう」と言った。

 私は最初、何を言っているのかわからなかった。てっきりもう撮影中かと思って、慎重に回転していたのだ。しかし、どうやら撮影のために胃壁にバリウムの膜を作らなければならず、そのために私はたびたび回転させられていたのだった。

 しばらくこのようなやりとりを続けた後、装置が大きな音を立てて動き始めた。いよいよぐるんぐるんするのだなと思ったのも束の間、体を預けていたマットは徐々に垂直になり、装置は元の位置に戻ったのである。私はただ手すりを掴んだまま、台の上に立っていた。

 すると今度は装置の脇から丸い先端のアームがウィーンと音を立てて飛び出してくるではないか。孫の手の反対側の肩を叩くためのもののような形状である。そして、私のみぞおちをその丸い先端がぎゅーぎゅーと押す段に至って、ぐるんぐるん装置にやられるというようなフェーズはもはや去ったことを知った。ぎゅーっと押して、戻す。少し位置を変えて、またぎゅーっと押す。この繰り返しが続く中、スピーカーから技師の声が響く。
「もうゲップしていいですよ。力を抜いてください」

 私はこの時点でも自分がゲップをしたいとまったく感じていないことに驚いたのだった。先輩たちが言っていたこととぜんぜん違うのだ。私は何も我慢していないのである。我慢することばかりを想定して油断をしていたが、ゲップが出ないという病なのではないのか。そんな考えが頭をよぎる。しかし、技師はそんなことはお構いなしに、孫の手のようなものを操り、私の胃をぎゅーぎゅーと押しながら言うのだ。
「いいですよー。ゲップしてください」

 私もゲップできるものならゲップしてみせたいが、出ないものは仕方がない。ただ、このままではまた何か言われそうな気もしたので、口を開けて、ゲップをしたような表情をしてみる。しかし技師は続ける。
「楽にしてくださいね。ゲップしていいですよー」

 どうやら患者は炭酸とバリウムを飲むとゲップがしたいものだというステレオタイプを持っているのだ。いろんな人がいる。ゲップが出ない人もいるのだ。私は私で、よい患者と思われたくて、少し頭を上げて口を開き、咄嗟にゲップをしたような表情をしてしまう。

 検査が終わり、技師がモニター室から出てきた。
「今日の検査はこれで終わりです。お疲れさまでした」

 私がカルテを受け取ろうと少し腰を曲げると、ようやくゲボっとゲップが出た。